2015年06月29日

秋篠宮同妃両殿下ご成婚25周年(銀婚式)のお言葉(対談形式:全文)

秋篠宮同妃両殿下は、2015年6月29日に
ご成婚25周年をお迎えになられました。
おめでとうございます\(^o^)/

この日に合わせて両殿下が発表されたのは、
両殿下のご対談という形式でまとめられた、
一風変わった文章です。
この「対談形式の文章」というスタイルは
秋篠宮殿下が御発案されたことだそうで、
両殿下が一つずつ御相談なさいながら
パソコンで文章を作成されたのだそうです^^

微笑ましくて、創造性豊かで、誠実さに溢れていて、
なんとも素敵な「25年目の共同作業」だと感じました。

文章の内容も、ものすごく素敵でしたので
これが時間限定で消されてしまうのはもったいない!
と思い、以下に全文を転載させていただきました。

長文ですが、ユーモアと愛に溢れていて
とても清々しい気持ちになりますし、感動しますよ〜。

ではでは、ご一緒に拝読いたしましょう!

(産経ニュース 2015年6月29日「ご感想全文」より)



***********************************

 ■結婚25年にあたって
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〈出会い〉

 秋篠宮さま 今年は結婚をしてから25年が経つようです。時間は常に経過していますので、取り立てて25年に意味づけをするものではないと思いますが、少し振り返ってみるのも記憶と記録を整理する上でよい機会かもしれませんね。

 紀子さま はい。私たちの今までを整理する方法のひとつとして、対談の形もあるのではないかとのお話になりました。このような形に慣れておりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

 秋篠宮さま もっとも、結婚する前にしばらく付き合っていた時期があるので、そのあたりから始めましょうか。いつのことか覚えていますか?

 紀子さま 30年位前になりますでしょうか。私が大学1年生の春、本を探しに大学内の書店に立ち寄りましたとき、初めてご挨拶をさせていただきました。

 秋篠宮さま 私の記憶に間違いがなければ、1985年の5月のことです。ちょうどそのころ、各地の文化や自然を楽しむことを目的としたインター・カレッジのサークルを作ったので、そこに誘ったところ喜んで入ってくれました。白川郷の合掌集落などずいぶんあちらこちらに出かけましたね。

 紀子さま はい。いろいろなところを旅行して、地域の豊かな文化や多様な自然にふれることができました。

 秋篠宮さま そして1986年、ある集いがあった後、あなたを送っていく途中に…。

 紀子さま 二人で信号を待っておりましたとき、突然、将来のことについてのお話があって、びっくりいたしました。大学卒業後は、海外の大学院に行くことを考えていましたので、どのようにお返事をしたらよろしいかと迷い、考えさせてくださいとお話しさせていただいて。

〈結婚にむけた準備〉

 秋篠宮さま 少し時計の針を進めましょう。私が大学を卒業したのが1988年ですが、その年の夏から暫くの間英国に滞在しました。この間、昭和天皇のご不例と崩御があったことから、しばしば日本に帰ることになりました。日本にいる間は、諸行事に参列するためだったのですが、そのおりに、将来のことについていろいろと話す機会にもなりました。そして、1989年の9月に公表するに至りました。これはいわゆる結納に当たる正式な婚約ではなく、皇室会議の議を経て婚約が内定したということを発表する機会でした。服喪中のこうした発表は異例なことと思った人がいたようですが、1951年7月の順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2ヶ月後で、しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると、私たちの発表時期より一段階重い服喪期間中でしたので、手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと宮内庁は判断したわけです。

 そして、私たちの結婚の時期についてです。秩父宮両殿下のご婚儀が1928年9月末で、昭和天皇の即位の礼が同年の11月初旬。その間は2ヶ月もなく、大変だったことを両陛下が聞いていらしたそうです。そのようなことから、私たちのときには、結婚から同じ年の11月予定の即位の礼までにある程度の時間があったほうがよいとのことで、私が帰国した直後に式がおこなわれることになりました。

 紀子さま とてもありがたい思し召しを賜り、感謝申し上げております。

 秋篠宮さま 話が少し前後しますが、昭和天皇の一周年の行事が終わり、私は1990年の1月から6月にかけては英国に滞在していたわけですが、その間、新たに住む家については、あなたに任せきりでした。もっとも、改築の平面図を見てもイメージすることができない私より、多少は空間認知に優れているあなたが見る方がよかったのは明らかでしたが。

 今のは自分にとって都合のよい言い訳なのですが、実際のところ帰国したのが6月21日で、6月29日の結婚式までは約1週間しかなかったことを考えれば、新居での生活の準備は完全にあなたへ依存していたわけで、このことについては申し訳なかったとしか言いようがありません。

 紀子さま いいえ。むしろ、英国よりのご帰国を待っていたのかのように、式までの約1週間、宮中行事の習礼(しゅらい)をはじめ、関係者とのこまかい打ち合わせが多くおこなわれましたが、時差がある中、大変ではありませんでしたか。

 秋篠宮さま 幸いなことに、私は一般的に言われていることとは逆で、若いころは東へ向かうほうが時差の影響が少なかったため、それで大変ということはなかったと思います。

紀子さま 新しい生活にむけての準備や支度は初めてのことばかりで、新居について、相談をしたいと思いましても、当時は連絡手段としてメールはまだ普及していなくて、電話やファクシミリで、英国との時差もあり、すぐには連絡がとれない状況でした。式までに考えるべきこと、決めるべきことがたくさんあり、大学院の講義も受けていましたので、時間が経つのが早く、準備を終えられるか心配でした。

 そのような中、宮内庁の職員が、改築や内装をはじめ、よく考え、提案してくれました。そばにいらしてくださったら、どんなに心強いかしら、と思うことはありましたが、いろいろな人の助けを借り、用意をある程度進めることができました。
 帰国されたときは、本当にうれしく、それまでの不安もどこかにいってしまうくらいでした。


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〈結婚の日と新居〉

 秋篠宮さま さて、1990年6月29日の結婚の日は、結婚の儀にはじまり朝見の儀、その他の諸行事が朝からたくさんあり、夜の10時頃でしょうか、一息ついたときにようやく結婚したことを実感した記憶があります。もっとも、その翌日からもいろいろと行事があったので、何となく慌ただしかったですけれどね。

 紀子さま はい。このよき日の行事を滞りなく終えたときは、安堵(あんど)いたしました。

 大学院生としての日々から、公的な仕事をする生活となったことは、大きな変化でした。そうした中で、折にふれて、両陛下が導いてくださり、あたたかくお見守りくださいました。各宮妃殿下方にも、行事の所作や服装などを丁寧に教えていただきました。さまざまな形で多くの人から支えられましたことを、ありがたく思っております。

 秋篠宮さま 少しばかり新居となった家のことを話しましょうか。というのは、私にとって10年ほど過ごしたこの家には、けっこう思い出があるからです。

 当初、宮内庁は新婚の我々のために、仮住まいではあるけれど同じ場所に新たな家を建てることを考えていました。しかし、いずれ何処かに居を構えるのに、仮住まいのためにたて直すその計画は無駄が多いように思い、現存している建物を一部改築して使いたい旨伝えました。たしかに大勢の人とそこで会うのには適当ではありませんでしたが、こぢんまりとしていたぶん、非常に落ち着く場所でもありました。玄関を入って少し大きな声で呼べば、どこにいても大抵聞こえたのではないでしょうか?
 結婚後の生活をあの家でできたことはよかったと思っています。

 紀子さま 約60年の木造家屋を、二人で過ごせるように直して、新しい生活がはじまりました。そして、娘たちの誕生にあわせて部屋を増やしました。その中で、娘たちは成長していき、子どもたちの元気な声が響き、ギターやピアノの音もよく聞こえる、温もりの感じられる家でした。

 秋篠宮さま 今の家からは近くにあるので、この前行ってみたのですが、子供たちが小さい頃に遊び回っていたことを想い起こし懐かしく感じました。彼女たちも気に入っていましたよね。

 紀子さま はい。今の家に移りましてから、またあちらの家で住みたい、と娘たちが話していたこともありましたね。

〈日本国内・海外の訪問などに関連して〉

 秋篠宮さま ところで、結婚後には公的私的は別にして、日本の各地や海外を訪問する機会がたびたびありました。また各種の行事にも出席をしてきました。訪問場所や行事そのものというより、それらに関連して何か印象に残っていることはありますか?

 紀子さま この25年の間に、日本国内、国外でいくつもの場所を訪問し、行事に出席いたしました。そして、さまざまな出会いがあり、多様な分野の人のお話を伺ったり、取り組まれている活動を見せていただいたりするなど、貴重な経験をいたしました。

 秋篠宮さま そうですね。各地で温かく迎えてくださる方たちがいることは、うれしいしありがたいことです。

 紀子さま また、健康作り、子育て支援や食育など、幼児から一人暮らしの高齢者まで地域の人々の暮らしを見守っている方々にも多くお会いしてきました。心強い活動と感じています。

 秋篠宮さま 私の場合には、たとえば学術や環境関係の授賞式等でご縁のあった人や団体が、その後さらに発展した形で社会への貢献をしたときなどは、とてもうれしく感じます。

 公的ということに関連して、あなたもよく知っているように、皇族には国事行為の臨時代行以外に公務は存在しません。あくまで公的な行為もしくは活動であり、言葉としてきちんと区別するべきものと考えます。そのような公的な仕事は、公務と異なりある程度自分の裁量で取捨選択ができてしまう。そのようなことから、声をかけていただき、それらが適当と判断されたものについては、できるだけ応えるように心がけてはいます。

 紀子さま 私もそのように努めてまいりました。そして、公的な活動でも、生活の中でも、宮家に関わる宮内庁や皇宮警察の職員をはじめ、さまざまな形で支えてくれる人たちがいることを大切に思っています。

 秋篠宮さま いっぽう、これは私的なことになりますが、国内外であなたとは一緒でなく訪れている場所もけっこうあります。なかには、一緒に行ってみたい場所もありますので、近い将来の楽しみとして考えることにしましょうか。

 ちなみに、この時は眞子と一緒だったのですが、かなりの悪路ではあるものの、マダガスカルのチュレアールからムルンベへ行く途中に3種類のバオバブやパキポディウムを見ることができ、コーデックス好きにとっては素晴らしい12時間半のドライブを楽しみました。もちろん、ほぼ同じ時間をかけて帰ってきたのですが、ムルンベのバオバブの景観は本当に素晴らしいですよ。

 紀子さま いつか見てみたいですね。


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〈子どもたちのこと〉

 紀子さま 子どもたちが小さいときは動物園や博物館にでかけ、また、一緒に旅行もしました。その他にも、子どもたちとはたくさんの思い出がありますね。

 秋篠宮さま 先日、英国にいる眞子から父の日のカードが送られてきました。普段は必要最小限の連絡事項をメールでしているだけなので、妙にうれしい気分になりました。久しぶりだったからかな。

 紀子さま すてきですね。私も眞子より母の日に羊の親子のカードを受け取りましたときは、胸が熱くなりました。

 秋篠宮さま 佳子とは比較的最近のことですが、珍しく一緒に買い物に出かけたことがありました。父親にたいしてつっけんどんな態度のことが多いのですが、意外と優しいところもあり、私が自由に選んだものについて、代わりに会計をしてくれました。もっとも、帰りに彼女にそのまま荷物を持たせていたら注意されましたけれどね。

 紀子さま ほほえましいですね。佳子が小さかったとき、誕生日によく手作りのものを贈ってくれました。幼稚園のときだったでしょうか。私の誕生日に2つの贈り物を考えていたのですが、先に作った貝殻の贈り物を私に見せたくて、早めに渡してくれました。そのあと、誕生日にもうひとつの贈り物をもらい、お祝いを2回してくれた、かわいらしい思い出もあります。

 秋篠宮さま 悠仁もしばしば折り紙などの作品を届けてくれます。上の子どもたちと同様、もらったものには年月日を付して、飾ったり、保存したりしています。最近は、絵も上手になってきましたね。自分が絵を描くことが下手なので言うわけではありませんが、何かを観察してそれを絵として表現できると旅をしたときの記録として意味が出てきますので、どんどん描いてほしいものです。

 紀子さま 絵を描いたりするほかにも、切り紙をしたり、厚紙で入れものをつくったりしながら、いろいろなものを創り出すことを、悠仁は楽しんでいますね。

 私たちの手許(てもと)には、子どもたちの小さいときからの作品がいくつもあります。どれも大事な宝物。普段なにげなく描いた絵から、本に登場する主人公や生き物などを描いたものが廊下の壁にかかり、折り紙やペーパークラフトが部屋に飾られています。

〈結婚したころと今と〉

 紀子さま ここで、結婚したころと、それから25年たった今のお気持ちを伺ってもよろしいでしょうか?

 秋篠宮さま このような機会がないと考えることもないですからね。

 1990年というのは、ついこの間のことのように思えますが、やはり相応に時間がたっているということを感じることはあります。仕事や研究などでいろいろな事柄を解釈・判断するときに、若いころでは思い至らなかったことが多々あると感じます。そのことで、ずいぶんと周りに迷惑をかけたことがあるように思います。
 もちろん、いまだに不十分で、反省と後悔すること多々ありです。精神年齢が未だ20代から進化していないのでしょう。

 紀子さま 私も結婚をしたころは、慣れないことや戸惑うことがあり、考えすぎることや力を入れすぎて、ご迷惑をおかけしたことがいろいろあったのではないでしょうか。今は遅ればせながら、力を抜くこつが少しずつわかってきたように感じていますが。

 このようなことにも「進化」という見方があるのですね。今でも、20代のときのような探究心や若々しい感性や創造性をおもちになっているのではないでしょうか。例えば、研究会に参加されているときには、そのように強く感じることがあります。

 秋篠宮さま たしかに研究会等への出席は、今まで自分がもっていなかった知識を得る機会にもなり、有意義に感じることが多くあります。まだまだ好奇心は残っているなと。出かける前と帰ってきた後とでは、テンションが違うと感じることがあるでしょう?

 紀子さま はい。お話しくださる様子から、心がはずむ時間を過ごされたのではないかと感じることがあります。

 秋篠宮さま いっぽう、フィジカルな面は劣化していますね。走り回ることについては、佳子が小学生の時にリタイアしてしまいましたが、最近不便に感じているのが老眼。もともと遠視があったので遠からずそうなるだろうと予想はしていましたが、眼鏡が放せなくなってしまいました。まあ、いたしかたないことではありますが。

 紀子さま 私も小さい字が急に見えにくくなりました。また、疲れたとき、回復する時間が以前に比べてかかるようになりました。

 毎朝のように散策をされたり、休みの日には庭仕事をされたり、よく身体を動かされていますね。週末は、散策に私も誘ってくださいますので、四季の移り変わりを感じながら歩くこの時間は、健康のためにも、楽しみのためにもありがたいです。

 秋篠宮さま 25年というと、親・兄妹と過ごした年月より長く一緒にいたことになります。それだけの期間をともに過ごしていれば、共有することができた貴重な経験は数多くあります。また、誰かの言葉を借りれば導火線が短い私ですので、口論も多々あるのはごく普通のことでしょう。そのようななかで、ほとんど言葉に出さないので不満かもしれませんが、感謝の気持ちもきちんともっていますよ。

 紀子さま それはうれしいです。

 秋篠宮さま さまざまな書類、私の所に届くまでに不明な点などを整理しておいてくれますね。これは非常に助かっています。

 紀子さま まだまだ至らないところもあると思いますが、そういう面でもお役にたっておりますなら、幸せです。

 秋篠宮さま また、昔から何故か階段を踏み外しやすいことから、階段のあるところでは、滑り落ちないようにさりげなく支えてくれていますね。周囲から見ると、私があなたを支えているように見えているかもしれないけれども。

 紀子さま こちらこそ、いつもこまやかにお教えくださり、また健康面も気遣ってくださり、深く感謝しております。

 また、一緒に生活をするようになってからわかったことですが、食べ物の好き嫌いがほとんどありませんね。私は、いくつか苦手なものがありますが…。食材を自由に選ぶことができて、助かっています。旅先でもいろいろな郷土料理を一緒に楽しむことができ、食文化に親しむ機会が増えたように思います。

 ほかにも、用事が立て込んでいましても、余裕をもって時間を守られていることには敬服しております。私は自分の時計の針を早く進めても、遅れ気味になってしまいます。もっとも、行事の前に私のところにいらして、あと何分と言われると、プレッシャーを感じますが…。

 お互いの気づきや発見がいろいろあり、自分と違う考え方だなと感じるいっぽうで、共有できる見方もありました。また、理解するのが難しかったこともあれば、言葉を交わさずとも心が通じ合うようになり、助けられたことも多々ありました。

 秋篠宮さま そうですね。結婚するまでまったく異なるところで暮らしてきたわけですから、考え方などで共有できるところとそうでないところがあるのは当然のことでしょう。その上で、我が家の場合に限って言えば、経験を共有することと趣味を共有しないことがよかったと思います。経験は共有することで将来的に発展しますが、趣味、たとえば、あなたが瓢箪(ひょうたん)に興味をもってそれを共有したとすると競ってしまいますので、良好な関係でなくなる可能性大です。趣味はそれぞれ楽しみましょう。

 紀子さま それぞれの趣味もありますが、一緒に音楽を聴いたり、自然に親しんだり、旅行にでかけたりという時間も楽しいですね。

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〈夫、妻、親として〉

 秋篠宮さま さて、ときどき夫もしくは親としてどのように認識されているのか気になることがあります。あなたも同様でしょう。最後に評価でもしてみませんか?

 紀子さま 気にしているかどうかわかりませんが、面白そうですね。

 秋篠宮さま 本来であれば、第三者、まったくの第三者というわけにもいかないので、私以外の家族に委ねなくてはいけないのでしょうが、それをするにはまず自らを振り返ることが必要です。とはいうものの、あなたと子どもたちから私の評価を聞くことは、今までの自分の行いを考えると少し怖い気もするので、今回はあくまで自己点検・評価でいきましょう。

 きちんとした項目立てをして、優・良・可・不可で客観的に点検および評価をしたわけではありませんが、漠然としたメルクマールからすると、私の場合には限りなくボーダーラインに近い「可」といったところでしょうか。

 紀子さま 私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている「可」ということでいかがでしょうか。

 秋篠宮さま おたがい、改善点が多いということですね。「良」や「優」は、今後の努力目標とすることにしましょう。

 紀子さま はい。これからも、可能性を大事にしつつ、努力目標にむけて一緒に年を重ねていくことができれば幸せに思います。

 秋篠宮さま それでは、このあたりで終わることにしましょうか。

 紀子さま そうですね。ありがとうございました。

=おわり

***********************************

私は、なんだか分からないのですが
お二人のお言葉を拝読している間中
ずっと目に涙をためていました。
全然うまく言えないのですが、
「こういう結びつきが『愛』なんだ」と思い、
感動して心が震えているような感じでした。

若く美しく素敵なお二方が結ばれて、
さまざまな困難を乗り越えられて、
絆の固い素晴らしいご夫婦となられたこと。
素晴らしいお子様達に恵まれて、
ご研究やご公務(私はひとくくりに
「公務」と思っていましたが、殿下のお言葉によると
「公務」と「公的な活動」は
厳然と区別して使うのだと今回初めて知りました)に
勤しまれて、着実に実績を積んでいらしたこと。

個人的に一番面白いと感じた描写は、
殿下がお買いものの後で
佳子内親王に注意を受けられたこと(笑)。
そして一番泣けたのは、妃殿下が殿下に倣って
「私も仲良く『可』にいたします」とおっしゃったくだりでした。

あまりにも素敵なものを見ると、
びっくりして、ありがたくて、涙が出てきますね…。
両殿下のお心遣いのおかげで、
今日一日ずっと幸せな気持ちで過ごせました。


私達日本人は、マスコミに頻繁に出てくる人達の水準に
自分達を無理やり落とす必要はないと思います。
私達日本人には、こんなに素敵なご一家がいらっしゃいます。
私達が見つめるべきは、秋篠宮のご一家だと心から思います。

お茶目なところもユーモラスなところも、
謙虚なところも人間らしいところも、気高いところも…
あらゆる面が輝いていて、本当に素敵なご一家です。

そして、秋篠宮両殿下がお手本とされ、
一生懸命に支えてこられた方々こそが
天皇皇后両陛下であらせられる、ということ。
両陛下から秋篠宮家に受け継がれている精神こそが
私達日本人のよりどころや背骨となっていることに
私は改めて、大きな喜びと感謝で一杯になりました。

改めまして、秋篠宮同妃両殿下、
ご成婚25周年おめでとうございます。
我が国の素晴らしい皇統が、
千代に八千代に続きますように。


posted by はなうた at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 皇室と日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月27日

おみくじに「生まれてきた理由」が書かれていた件

先日、神道関係の方とお話する機会がありました。
その方から興味深いお話を伺いましたので、
皆様にもシェアさせていただきます(人)

「低級霊が憑いて悪さをしている人は、
自分の両手を合わせることができない。
磁石の同じ極同士が反発し合うように、
本人が手を合わせようとしてもうまくいかない。

それは、その人に憑いている霊が
お祓いをされたくないから、
ずっとその人に取り憑いていたいから

その人が両手を合わせることを拒んでいるのだ。

ただ、人に悪さをする霊の中にも
たまに悪知恵の働くものがいて、
『霊なんて憑いていませんよ?』とばかりに
ちょっとの間我慢して、手を合わさせる場合もある」

なんだかとても説得力があって
面白いお話だなぁ…と私は思いました。

私達日本人は、神様仏様にお参りをするときには
ほぼ無意識のうちに身に付いた仕草として
自然と両手を合わせていることと思います。

それから日常生活の中でも、
ありがたい出来事があったときはやっぱり合掌して
こうべを垂れ、ほっと一息抜く方が多いと思います。

「何の抵抗もなく手を合わせられる」ということを
私は今まで当たり前のことと思ってきましたが、
あの形が自然とできるということはある意味
とても健全でありがたいことだったんだ…と
その方のお話を聞いて感じました(*-ω-人)


そして、自分の小さな習慣である朝晩のお祈り、
マイ神棚に向かって手を合わせてこうべを垂れて、
感謝や反省の気持ちを神様にお話する習慣は
自分を護るという意味でもそれなりに心強く、かつ
意義のあることだったのかもなぁ…と思いました。
これからも続けよう!と心に誓った次第(`・ω・´)ぴかぴか(新しい)


まあ、それはそれとしまして
先日、神社でおみくじを引いてきました。

前にも少し記事で書きましたが、
私は、大吉だの小吉だのはあまり気にしていなくて
おみくじはむしろ「和歌」や「お話」の部分を
読むことを楽しみにしているのですが、
今回はとりわけ「お話」の部分が心に残りました。
以下はその「お話」の全文ママです。


「ご飯たべたり、着物をきたり、
勝手いうのが能じゃない


御互(おたがい)は
ご飯たべる為に生(うま)れて来たのでも、

着物きるために生きて居るのではない。

神様から世界作り固めの御役目をうけて、

此(この)地上に高天原(たかまがはら)の、
住みよい、明るい、平和な世界を
作り上げる為(た)めに

生れて来たのである。

この信仰をもって一生を働き続けましょう。」



ここに書かれていることは、私にとっては
「お、おう…(汗)」としか言えないような、そして
「やっぱりな…」とため息をついてしまうような、
有無を言わせぬ力強さを感じさせる内容でした。

思い返せば、2011年3月の大震災をきっかけに
「何かおかしいなあ」と感じたところから
ブログ主の活動は始まったのでした。


震災当時、テレビでは
地震や津波の悲惨な映像を
「お前達はドSか?」というくらい
繰り返し繰り返し流すばかりでしたし、
震災から数か月を経過しても
被災地の復興が進んでいるとは
まったく思えない状況が続いていました。

「あの地震や津波が、いくら大災害だったとはいえ
ここまで変な感じなっているのはおかしいよね?
何で、こんなことになっているんだろう?」

「日本は今、どうなっているんだろう?」

と不審に思い、それまでは仕事や食べ物や娯楽など
狭い興味のためにしか使ってこなかったネットを、
日本の現状を調べるために初めて使いました。そして

「大変だ!日本は、滅ぼされようとしていたんだ!」

「日本が危ないということに
一人でも多くの日本人が気づかないと、

私達の未来は本当に終わってしまうよ!!」

と驚いて、自分に何ができるだろうと
必死で考えていました。

そして、たとえばこのブログを立ち上げたり、
ささやかなイベントを企画したり、
手ぬぐいやハンカチを作ってソフトに(?)啓蒙したり、
自分の調べたことを記事にしたりしてきたわけです。

小さな存在なりに、この国を護らなくちゃ!
という思いで自分なりにできることをやってきて、
そして現在に至るわけですが…
(なお7月9日からは集団通報を頑張る予定(ΘДΘ)V)

まあ、ぶっちゃけた話をするならば、
私はなんだかんだいっても日本は
この緊急事態を乗り切れるだろうと信じています。

民主党政権の時代は、
多くのネット保守の方と同じく
ほとんど生きた心地がしませんでしたが、
安倍さんが自民党総裁選で勝って
自民党が政権奪還した頃ぐらいから
「このまま頑張れば行けるかもしれない」
と思えるようになりました。

テロや情報操作や国内外での各種嫌がらせなど
特亜や反日勢力の抵抗はしばらく続くでしょう。
それでも、ここまで来ることができたのだから
この戦いで最後まで残って勝つのは私達日本人だ。
という確信を、私は腹の底に持っています。

そして、この緊急事態を乗り切った先に待っている

「高天原の、住みよい、明るい、
平和な世界を作り上げる」

という新しい目標のためには
自分は何をしたらいいだろうなぁ…と
こんな顔で('Д')ぼーっと考えてもいます。

むしろ本来の目標は、そっちだったよね、
という気もしています。

私は政治家ではありませんし
(余談ですが、志のある政治家は本当に偉いです。
魑魅魍魎の蠢く政界で細心の注意を払いながら
国益を第一に考えて成果を出しておられる方々は
本当に本当に強くて立派な人達です。
私はそういう政治家を心から尊敬しています)、
有名な立場にいるわけでもありません。
普段はできるだけ目立たぬよう、
また不要な波風を立てぬように(笑)
地味に静かに生きている(いやいやホントに汗)
普通の日本人です。

でも、そういう普通の日本人だからこそ

「高天原の、住みよい、明るい、
平和な世界を作り上げる」

きっかけの一つを作れるのではないかな、
という気が、何となくしているのです。

集団通報を頑張りながら、
そっちの方の目標についても自分なりに考えて
少しずつ実行に移していきたいと考えています。
そして、思ったことや行ったことを
このブログに少しずつ記録していって、
日本と世界の明るい未来について
皆様と考えていけたらと願っております。


私やあなたにできることは、何でしょうか?
普通の日本人だからこそ、できること。




2015年06月23日

修身の教科書を読みながらジャ○ラ時代の自分を思い出す(尋常小学修身書<大正期> 巻二 掲載)

皆様、お元気でお過ごしでしょうか。

前回前々回と続けて
修身の教科書からお話をご紹介してきましたが
とりあえず、今回の更新を持って
いったん一区切りしようかと思います。

今回は「兄弟姉妹」のお話を取り上げます。
今回もとても短いお話ですので
まずは、さらっとお読みください。

*********************

三 キヤウダイ ナカ ヨク セ ヨ

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オヤヘ ハ オトウト ノ サブラウ ト
ノハラ ヘ イキマシタ。
レンゲサウ ヤ タンポポ ヤ スミレ ガ
キレイ ニ サイテ ヰマス。

二人ハ ハナ ヲ ツンデ アソビマシタ ガ、
サブラウ ノ ツンダ ハナ ガ アマリ
スクナイノデ、オヤヘ ハ ジブン ノ ヲ
ワケテヤリマシタ。

*********************

このお話で描かれているのは、たった一つの訓えです。

兄弟姉妹の間柄においては、
年上の者は力も知恵もあるので、必要なときには
年下の者を助けてあげよう、ということです。

ごく当たり前のことですよね。

それでも「これが当たり前なんだよ」と、
子供に当たり前のことを言って聞かせる大人が
一人もいなかったとしたら、その「当たり前」は
いずれ社会から消えてなくなってしまうでしょう。

教育とはそういうものだと私は思っています。


ここから少し、ブログ主の個人的なお話をいたします。

ブログ主は昔「悪」でした。
俗に言うヤンキー的な「ワル」ではなく
悪魔の「あく」の方です。

どのくらいの悪かというと、
セルフイメージではこういう感じです。

じゃみら.jpg

※肖像権の問題が発生するといけないと思い
念のため目元にモザイクを入れてみました


悪であったブログ主は、自分を傷つけ周りを傷つけ、
自分の世界を自ら進んで叩き壊す痛ましい存在でした。
セルフイメージではこんな感じです。

じゃみら3.jpg

※良い子は真似しないでね!悪い子も、ここまで堕ちると危ないヨ!

身も心もトゲトゲのボロボロだったブログ主は
毎日を苦しく情けない気持ちで過ごしていましたが、
そんなあるとき、ある施設のボイラーのおじさんに
こんな言葉を掛けられたのです。

「そこの娘さん。タバコを吸うのをやめなさい。
タバコなんて吸ってたら、健康な子を産めなくなるよ。」


「20歳過ぎてるんだから別にいいじゃん!」
という、自分勝手なサヨク的言い訳も一瞬浮かんだものの、
「悪」とはいえ「気弱」でもあったヘタレなブログ主は
おじさんに真顔でそんな言葉を掛けられたものですから
気まずくなり、吸っていたタバコの火を消したのでした。

ただ、おじさんとのそんなやり取りがあってからも
ブログ主はなんだかんだで意地を張り続けて
その後10年近くもジャミ○っぽく生きていましたが(!)
やさぐれ続ける人生に嫌気がさしてきて
「心正しく清々しく生きたい」と思うようになり、
少しずつ努力を重ね現在に至るのでした。

今ではもう、ジ○ミラではなくて
身も心も人間になれた…と思っています(-ω-人)

結局、何が言いたかったのかと言いますと

  「当たり前のことを
   一生懸命に言ってくれる人は
   ありがたい人なんだ」


ということです。

ブログ主は思うのです。

「あのときの、あのおじさん…。

タバコを吸っていた私を見かけたとき、
きっと、悲しくて嫌な気持ちになっただろうな。
自分のことを粗末にしている若い娘を見て
いい気分になる人がいるはずがないよね。

どこからどう見ても、すさみ切っていた私に
あのおじさんが声を掛けてくれたのは、
あのおじさんが、本当に優しい人だったからだ。

この子は、今はすさんで、やさぐれているけれど、
何年か経ったら普通にお嫁に行くかもしれない。
そのときに健康な子供を生めなかったら
かわいそうだな…と思ってくれたから、
おじさんは声をかけて、タバコを止めてくれたんだ」

当時は、おじさんの気持ちがそこまで分からなくて、
ブログ主は、叱られたショックと的を得た指摘とで
ただただバツが悪いなあと感じていましたが、
年を経るにつれておじさんの気持ちが分かってきて
「ごめんなさい、ありがとう」と思うようになりました。

そして先ほども書きましたが、
しつこい悪の心を持っていたブログ主は
おじさんのそのありがたい言葉で
一発改心したわけではなく、
そのあともいろいろな人にいろいろな思いをさせて
たくさん叱られたり、悲しませたりする経験を経て
少しずつ心を改めていったのですが…

きっと、ものすごく嫌だったろうに
ブログ主に声をかけてくれた人達にはやっぱり
「ごめんなさい、ありがとう」と思っています。


ところで、もし、ブログ主の人生において
当たり前のことを当たり前に言ってくれる人が
一人もいなかったとしたら、
ブログ主は取り返しのつかないレベルまで
道を間違っていたことでしょう。
ブログ主が今ここにこうして存在し、
そこそこ清々しい心持ちで過ごしていられるのは
関わりを持ってくれた人全員のおかげです。

その中でも、さきほどのおじさんをはじめとして
当たり前のことをブログ主に向き合って
一生懸命に言ってくれた人は、
本当に本当にありがたい存在です。

だからこそブログ主も、当たり前のことを
一生懸命に言っていこう、と思うのです。
当たり前のことを当たり前に言い、
当たり前に実践していく。
そういう日本人の一人でありたいと思っています。


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2015年06月13日

第2師団創立65周年/旭川駐屯地開設63周年 創立記念行事に行ってきました

2015年6月7日、くもり。
最低気温6.5度、最高気温13.5度。
屋外で風に吹かれていると、
少し鳥肌の立つくらい寒い朝でした。

10:00、観閲式開始。
国旗掲揚や祝辞、来賓挨拶などがありました。

この式の中で、私が気になったのは
来賓議員達の挨拶の中にあった
以下のような言葉でした。


   「ただいま、安全保障法案関連が
    国会で審議されていますが!
    国民の皆様への説明は、
    まだまだ足りていないと感じております!
    くれぐれも慎重に!慎重な議論を重ねて!
    行かねばまいりません!!」


   「私は、議員として!
    皆様方、自衛官の命を守らねばなりません!
    自衛官の皆様を危険にさらすようなことは!
    何としても防がねばなりません!」


もしも、彼ら議員が国防について深く広く情報を集めたり、
常日ごろから自衛官とまともに話をしているのであれば
自衛官がスムーズかつ安全に任務遂行できるよう
安全保障関連法案の可決に全力を注いでいるはずです。

また、自衛官の中に自害者が多く出ている現状を鑑みれば
自衛官に対し「申し訳ない」という思いが生まれるでしょうから
自衛隊をめぐる組織的・社会的課題を解決するためにも、
憲法改正の必要性を、ことあるごとに訴えるはずなのです。

けれど、この式典で祝辞を述べた議員の方々はそういう
「本当の意味で前向きな話題」には全く触れませんでした。

ところで、拙ブログでこれまで何度か書いてきたことですが


国家が国民に提供できる最大の福祉は国防です。


日本の国防があるべき方向に整備され始めたことで
彼ら反日勢力が焦って尻尾を出してしまうのはわかりますが、
よりによって、今までさんざん愚弄してきた自衛隊の
一番の味方ぶるというか、理解者面をし始めるとはね。
韓国もびっくりのバランサーぶり。
開いた口がふさがりません。


   「あなた方自衛官も、自分の命は惜しいでしょう?」

   「安倍政権は戦争をしようとしていますよ。
    危険ですよ?でも私は貴方達の味方ですからね!」


こういう卑しく歪んだメッセージを、
この、観閲式という自衛隊のハレの舞台で
人生を賭けて国を護っている自衛隊を前にして、
よくぬけぬけと発信できるよなあ…
しかもこれは、目の前の自衛官の方々に対してだけでなく
旭川駐屯地の向かいにおわす北海道護国神社の英霊にも
大変失礼なことだよ、と私は驚きをもって聞いていました。
結局彼らは、自衛隊のことも、市民のことも、
日本人全体のことも
なめてかかっているのだと感じました。


自分の中に、ほんのわずかでも大和魂をもつ日本人なら
誰に何を言われなくても腹の底では分かっているはずです。
日本が変容の時を迎えていることを。
日本人が自らの手で祖国を堂々と守り始める一方で
不要になったしがらみを断ち切る時期だということを。

本来のあるべき姿を取り戻している真っ最中である日本を
身を挺して助けるわけでもなく、むしろコソコソと足を引っ張り、
利用できるものは何でも利用しようとする心根の卑しさよ。
己の大和魂を、はした金で切り売りし続けてきた彼らにはもはや
日本人として感じるべきことすら感じられないのでしょう。
未来の日本に、彼らのように卑しいものの居場所はない。

…などと悶々と考え事をしながら式次第を追っていましたが
それはそれとして、旗衛隊の方々の後ろ姿をパチリ。

DSC_0187_R.JPG

きっと、この旗衛隊のお三方は式の最初から最後まで
毅然と立ち続け、どんなに痒かったとしても
鼻も首も脚もぼりぼりと掻くことはなく(!)
ずっと気をつけの姿勢を維持しなくてはならないのだ…!
と考えたら「地味なようで、すごいお役目だ」と思いました(人)

神聖な国旗を護り捧げるお役目を果たす方々は、
後ろ姿も隙がなくて、凛としていますよねぴかぴか(新しい)


そしてグラウンドでは、第2師団の各部隊の方々
これまた毅然と整列しておられました。

DSC_0186_R.JPG

観閲台から観閲式を見守る観閲官。
第2師団長の市野保己陸将です。

DSC_0190_R.JPG

10:30、観閲行進が始まりました。
第2音楽隊の入場です。

DSC_0193_R.JPG

第2音楽隊の隊長は、
富田淳子1等陸尉です。
小柄で華奢な女性ですが、ご覧のとおり、
ほれぼれするぐらいキリッとした佇まいですぴかぴか(新しい)

DSC_0194_R.JPG

後続の音楽隊の方々。


DSC_0197_R.JPG

先日の音楽まつりでのエンターテイナーな雰囲気とは違い、
この日は「第2師団の音楽隊」という迫力や独特の緊張感が
漂っているように感じました。

DSC_0199_R.JPG

道路からグラウンドに入って、演奏を続けているところです。

音楽隊に続いて、第2師団の各隊が
素晴らしい装備で列をなして向かってきます。

DSC_0207_R.JPG

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DSC_0208_R.JPG


各隊の先頭車両の最先端に乗っている人は
観閲台の前を通るときに「かしら!なか!(頭中)」
と号令をかけながら敬礼するのが習わしだそうです。
(敬礼の対象<今回の場合は観閲官>の位置によっては
「なか」が「ひだり」や「みぎ」に変わるそうです。
また「頭中」は、消防団などでも使われる号令だとか)

ちなみにwikipediaの「敬礼」の中には
「軍隊礼式」という項目がありまして、そこには
さまざまな種類の敬礼が解説されていました。

私は、自衛隊の敬礼と言えば
この「挙手の敬礼」しか知りませんでしたが↓

音楽まつり支援隊_R_自衛隊音楽まつり_48.jpg

通常の「気をつけ」の姿勢も
敬礼の一種にあたるのだということ、
銃や旗を使って行う敬礼もあるということ、
さらには、個人としての敬礼もあれば
2人以上の「隊」として行う敬礼もあることを知りました。

「敬礼の仕方一つとっても、TPOによって
細かく分かれているんだ…すごいな」と思いました。

皆様は、ご存知でしたでしょうか?^^

DSC_0203_R.JPG

こちらは、隊の先頭車両が、観閲台の前を通り過ぎる瞬間です。
垂直に捧げていた旗を、水平かつ前方へと傾けています。
先頭の人は、腕を観閲台に向かって垂直に伸ばしてから
「かしら!なか!」と号令をかけて挙手の敬礼をします。

同じ形式の敬礼が、すべての隊において行われていましたが
何度見ても「かっこいいなあ」と感動するものでしたぴかぴか(新しい)


また、第2師団は別名「デジタル師団」とも言われるほど
最新鋭の装備品が充実しているそうですが、この行進では
それらが一堂に会した上に、盛大に披露されていました。
目の前で実際に動いている!そして大きい!
と、驚きと興奮と共に眺めていました\(^o^)/
私の周りに座っていらした方々も「おお〜」「すごいねえ」
と言いながら、各装備品に見入っておられましたよ♪


一方で残念だったのは、はるばる千歳から来ていた
航空自衛隊のF15の飛行が中止になったことです(´・ω・`)
こんなに曇ってさえいなければなあ…。
会場からも、「えー!」という悲しい叫びが上がっていました。


さて、隊列行進の後は模擬戦です。
敵方の侵入に対し、どのように制圧するかという
一連の流れを見せるものでした。

準備をする方々。

DSC_0222_R.JPG

DSC_0242_R.JPG

そして、ドラマチックなBGMと共に最初に現れたのは
こちらのヘリであります。

DSC_0223_R.JPG

観覧席から見ても、とても近かったです!

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ヘリから人が下りてくる様子。ロープが垂れて…

DSC_0228_R.JPG

人がスルスルと降りて来て…

DSC_0229_R.JPG

鮮やかに着地!
DSC_0230_R.JPG

その後、パーッと駆け出していきました。
この光景も、何度見てもワクワクするものです*^^*

そして、この模擬戦の中では
自衛隊の装備が実際どのように使われるかを
垣間見ることができました。

中でも、個人的に見られて嬉しかったのはこれです。

DSC_0244_R.JPG

画像が暗くて見づらいのですが、
架橋器材という、緊急時に橋を掛けるための装備です。
簡易設備といいながら、重い戦車が通れるほど丈夫だそう。

本や動画などでは見たことがありましたが
本物が動いているところが見られるなんて!
それに、出てきた橋がまた、予想していた以上の大きさでした!
この橋の上を自分で歩いてみたいなぁ、と思いました(*´▽`*)


いずれも手入れの行き届いた、高機能の装備を
厳しい規律の下、迅速かつ正確に扱う自衛隊。
こういった勇姿をほんの少し見せるだけでも
攻撃に対する抑止力になるのだなあと感じました。


私がいつもお世話になっている海上自衛官の方から
少し伺ったことがあるのですが…
ロシアの海軍と共同演習をした際に、
海自の装備品を(見せても良い部分だけ)見せて
案内してあげたところ、
普段は陽気なロシア人の口数がどんどん少なくなり、
最後の方はほぼ無言になっていたそうです。


こういった観閲行進や訓練展示、装備品展示は
それを見た日本人には護られているという安心感
大切な任務に当たる自衛官への感謝の気持ち
もたらすものではないでしょうか。その一方で、
敵情視察に来た方々の戦意を喪失させるのには
十分なものだとも感じました。


今回、私は駐屯地モニターということで
観閲式から観閲行進、訓練展示まで
通して見せてもらいましたが、
やっぱり自分の目で動いている様を見ると
感動もひとしおでした*^^*
そして、一連の流れを見ていて思ったのですが、
いちいちビシッとしていて、気持ちがいいです。
「一度見たからもういい」とは思わず、むしろ
「機会があれば何度でも見たいなあ」と感じました♪


次回の記事では、ここでは書ききれなかった
会食のことや、おまけのお話をご紹介します^^
お楽しみに〜♪

おまけのお話や会食のお話は、
いざ洗い出してみるとそんなになかったので(汗)
創立記念行事の記事はこれで完結と致します(人)
よろしくお願いします。





posted by はなうた at 18:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 駐屯地モニター日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月10日

【拡散】 めまいがするほどの反日教科書 これが民○・社○・共○&朝○人の日本乗っ取り教育!

こんばんは〜。

創立記念行事の記事を待って下さっている方も
多いようですが、更新にはもう少し時間がかかります。
ご了承いただけましたら幸いですm( )m

ところで本日は、護国仲間からとてもよい記事を
ご紹介いただきましたので、
そちらを転載してシェアさせていただきます。
「教科書チェッカー」さんという
ハンドルネームの方が書かれた、
社会科の教科書に関する記事です。
リンク元はこちらです。

では、以下に転載します。

**************************

【拡散】 めまいがするほどの反日教科書 
これが民○・社○・共○&朝○人の日本乗っ取り教育!

2015年06月09日20:18全体に公開 みんなの日記 739 view

----------UP主からのお願い------------------------------------------------------ 
 この日記をごらんになっている保守系ブロガー,
ミクシィユーザー,まとめサイト運営者の皆様。  
  
★☆★ 図も文もなにもかもコピーして
持って行ってくださって結構です。
リンクすら,張っていただいても張らずとも
ご自由にしていただいて結構です。 ★☆★ 

この日記の内容をどうかご自身で保存し,
出来れば皆様のサイトでUPしてください。 
著作権侵害等の訴えを私がすることは決してありません。 
どうもmixiではときおり突然日記が消されたり,
アカウントの停止が行われたりするようです。
日記を消されずとも,日記の公開範囲を
「全体」に出来なくなることがあるようです。
この日記が万が一消された(あるいは公開できなくなった)
場合に備えて,みなさまのお手元に,
データを置いておいていただきたいのです。 
  
お手数をおかけしますが,よろしくお願いいたします。 

---------------------------------------------------------------- 

今からごらん頂くのは,
今年度まで使用される東京書籍の
日本史A の教科書[日A011]です。 

日本史の教科書で,トップシェアをとると同時に,
一般の方への認知度が最も高い教科書は 
山川出版社の「詳説日本史B」だと思います。 

しかし教科書全体のシェアで言えば,
東京書籍こそがNo1です。 
(あらゆる教科でトップか少なくとも
上位のシェアを取っているため,
教科書全体で見ると東京書籍が
「教科書出版の最大手という事になるのです) 

この教科書が作成された当時,
民主党が政権を取り,したい放題をしていた時代でした。 

朝○人とそのシンパは未来の日本を担う青少年を
洗脳すべく,教科書の記述を朝○人に
有利になるよう歪曲したのです! 

これが,その驚愕の反日教科書です! 

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ただ,この教科書が
日本最悪の反日教科書だからといって,
東京書籍が日本最悪の反日教科書会社と
言うことではありません。
(根っから反日wの○日新聞とはワケが違います) 

ちょうど全盛期のフジテレビが
朝○人&共○主義者につけ込まれたように,
教科書業界全体でのTOPシェアを持つ会社ゆえ,
ねらわれたのでしょう。 

この吐き気をもよおす反日記述の数々をご覧ください。 


@ 外国人の干渉をよろこぶバカ教科書 

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 まず,外国人(特に朝○韓○人)が,
日本の教科書にくちばしをつっこんでいることを
誇らしげに宣伝しています。  


おまえらは,朝○人の手先になって恥ずかしくないのか? 
日本人を,朝○人の精神的奴隷に
しようとしている自覚はないのか? 
(いや,こいつらはわざとやっているんだな) 

特定日本人と言うのに
これほどふさわしい奴らはいませんな。 



A わざわざ「東海」を紹介するバカ教科書 

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なぜわざわざ「東海(トンヘ)」などという
国際的に通用しない名称を取り上げるw 
まるで「日本海」と「トンヘ」が,
同レベルのローカルネームみたいじゃないか。 

日本人に「日本海」と言う名称が
独りよがりだと思いこませる作戦か?w 



B 「強制連行」を声たからかに紹介する反日教科書 

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何人,強制連行されてやってきたんだよw 
300人もいねぇだろw 



C 無防備都市宣言を紹介するバカ教科書 

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いまどき,無防備都市宣言w 

wikiより 

日本の地方公共団体(地方自治体)のレベルで
無防備地域宣言を行うための
条例制定の直接請求運動が全国各地でなされている。
この動きは日本にだけみられる独特の社会運動で、
自治体の無防備都市宣言はハーグ陸戦条約と関係がない。 

完全に共産党(or朝鮮人)の工作ですなw 

さらにwikiより 

無防備地域宣言運動の問題点[編集] 
地方公共団体が行う無防備地域宣言は
以下の点で問題点があり、
国際法上の実効力はないとみられる。[要出典]
そのため、「平和都市宣言」以上の意味は
持たないとの意見が大勢を占めている。[要出典] 



D 朝○人に,参政権だってw 

自分の国に参政権があるんだから,そっちで行使しろよw  

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韓○人の工作はかなりの部分が,
民○党大敗とともに明るみに出て,
現在絶賛,朝○人返品運動開催中ですw 

7月9日が楽しみですねw 



E 有りもしない「慰安婦」を
声たからかに紹介する反日教科書 

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○○人慰安婦が社○党&○日新聞による
日本人侮蔑政策だったことは既に明らかです。 

このような教科書がこれ以上教育現場に広がらぬよう,
文部科学省ならびに東京書籍への凸をお願いいたします。 


また,2chやまとめサイトへの投稿もお願いいたします。


**************************


とても丁寧でよい内容のまとめでしたので、
全文ご紹介させていただきましたm( )m
何よりもツッコミのセンスが光っていますし、
誰にでも分かるように簡潔に書きながらも
押さえるべきところは真面目にきちんと押さえていて、
こういう記事を「良記事」と言うのだよなあ、と感じました^^


教育とは国の根幹をなすものであり、
私達の未来のあり様に大きく影響するものです。

きちんとした教科書を選び、学び、活かせば結果的に
日本国は明るく豊かな未来を手にすることができます。
私達一人ひとりが何を考えて何を選ぶか?ということが
いつも一番大事なことであり、
選んだものを積み重ねた先に未来があります。

私達が何を考えて何を選ぶか、
それは本当に大事なことなのです。




posted by はなうた at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 護国ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする