2015年09月30日

「怒りと向き合い、人を許す」方法を実践してみた

はぁーい、皆様。ごきげんいかがですか?

我が家では、先日、このシーズンで初めて
ストーブを焚きました\(^o^)/サムイヨー
また、我が母なる山・大雪山の旭岳にも
先日初雪が降りましたし、
徐々に秋の気配が深まっているのを感じる今日この頃です。
思えば陽が沈む時間も、随分早くなりましたよね〜。


さて、先日「信じるべきものは自分の内側にある
という記事を書きましたが、ああいった記事を書くのが
自分的には、とても楽しくて充実していましたので
関連記事をまとめて、シリーズ化することにしました!
シリーズ名はずばり!

「コーヒーを飲みながら魂の磨き方について語ろう」

です。大好きな、このaaのイメージで
のんびり語っていこうと思います^^

しまむらくんとコーヒー.gif
ブログ主は、こういったテーマについて考えるのが
子供の頃から好きでした。もちろん、今でも好きです。

そしてこの広い世の中には、ブログ主と同じように

「魂って、どうやって磨けばいいのだろう?
とりあえず、この人生を生きている間に
できるだけピカピカにしておきたいなあ」

などと考えながら生きている人が、少なくとも
数人はいるでしょうから、その数人のうち
ご縁のあった1人にだけにでも読んでもらって
楽しんでもらえたらいいなあと考えました。

では、長い前置きはこのぐらいにして、例によって
コーヒーを飲みながら本日のお話を始めましょうか…^^

本日は「許す」ということをテーマにします♪

さてさて、多くの人の心の中には
その人だけのオリジナルな、スペシャルなデスノート(笑)
が存在していることと思います。そのデスノートに挙げ連ねたメンバー、
略して「デスメンバー」(笑)(笑)の顔を思い出すだけで

「ああっ、もう!あいつだけは絶対にユルさない!ぶっ頃(ry」

などと冊井が沸いてしまったりするものであります
(テーマが物騒ですので、敢えて誤字を使用していますm( )m)

かくいうブログ主の心の中にも、
それはもう真っ黒なデスノートが置いてありましたが
先日、いつものようにデスノートをぺらぺらとめくりながら
ふと、こんなことを考えました。

「私はこれから先もずーっと、
デスメンバーのことを思い出しては
『あいつ、まじで(ry』とか、思い出し怒りをするのかなあ。
そんな人生、嫌だなあ。想像しただけで疲れるし、
第一不毛だよねー。時間とエネルギーの無駄遣いというか…。

そもそも人って、許せないと思った人を許せるものなのかな?
私は、どうすればあの人達を許せるのだろう?
どうすれば、私の心は楽になるのだろう?」


そこで、我らがGoogle先生に話しかけて
人を許す方法について尋ねたわけです。
果たして、Google先生が用意してくれたいくつもの答えの中に、
ブログ主的に「これは…!」と思うものがありました。
それはインド生まれの、チョプラさんという人の考え方でした。

詳細は「チョプラ 許す」でググれば出てきますが、
ここではブログ主なりにチョプラさんの考え方を
解釈・要約したものをご紹介いたします。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

自分が他人をいつまでも許せないのは、
自分の心の中に「怒りの回路」ができてしまっているから。
心の中にせっかく新鮮なエネルギーが沸いてきても、
強固な「怒りの回路」がある間は、エネルギーは
どんどんその回路にはまり込んでは消費されてしまう。

怒りの回路を消して他人を許して楽になるためには、
自分の中に今までとは違う「新しい回路」を作ればよい。


 〜*〜*〜*新しい回路の作り方〜*〜*〜

1.自分がいまだに怒っていようが、傷ついていようが、
  それはそれとして脇に置いておいて
  「よし。許すことにしてみよう!」と決意する

2.「もし、心の中に新しい感情(いつもの怒りや悲しみ以外の)
  が湧いたら、その感情を認めよう」と決意する

3.新しい感情に気づいたら、それがどんな些細なものでもよいので
  「キタ──ヽ(゚∀゚)ノ──♪」と肯定的に受け止める

4.いつもの怒りや悲しみの感情が沸いてきたら、その都度

  「これは私ではない」
  「これは私の望むことではない」
  と冷静に否定する

5.いつもの怒りと悲しみの感情が消えるまで、
  3.と4.のプロセスを淡々と繰り返す

皮膚にできた切り傷は、自然治癒力によって治る。
人格者であろうが凡人であろうが、関係なく治っていく。
心にできた傷(=怒りの回路)の治り方も、似たようなもの。
自分で治そうと決心して、治癒の過程を邪魔せずに見守れば
人格者であろうが凡人であろうが、関係なく治っていく。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

ということだと思われます。

とりあえずブログ主は、自分のデスメンバーのうち5人
(結構多いw)を選んで、実験してみました。
その実験の中で、自分の中に沸いてきた新しい感情は

「今の自分には関係ない人だ」

「もはや縁の切れた人だ」


「その人からは学び終わった。今後関わるつもりはない」


といったもので、いずれも静かな感情でした。
(人によって、それぞれ独自の新しい感情が沸くと思います。
ブログ主の感情については、参考までに載せました(人))

「愛情の反対は無関心」とはよく言いますが、
「憎しみの反対も無関心」なのかもなあ、としみじみ思いました。

そして、この実験を繰り返していくうちに、
デスメンバーのことを考えて怒ったり、
不愉快なできごとを思い出して悲しくなったり、
「なぜあのとき…」と当時の自分を責めて苦しくなったり、
心が疲労しすぎてちょっとしたことにも敏感になる、という状況が
かなり変化してきました。
無駄だと分かっていながらも囚われていたことから解放されて、
心の中が大掃除をしたように明るく軽くなって、楽になりました。

「怒りや悲しみと向き合う」ということを、
ブログ主は、その当時の感情を何度も何度も
繰り返し味わうことだと勘違いしていました。
でも、そんなことをしなくてもよかったのです。
それは、できた傷がせっかくかさぶたをつくって
治ろうとしているのを見つけるたびに、
いちいちかさぶたを剝いていたのと同じことだったのだ、
と今は思います。
私達の心はいつだって傷を治したがっているし、
私達の心にはそれ自体に傷を癒す力があるのです。

これまで、怒りや悲しみや後悔などに変換して浪費していた
心のエネルギーが、今は潤沢に使えるようになってきたので
このエネルギーを自分の大好きなことや大切なことに注いで
有効活用していきたいなぁ、と楽しみにしているところです。





2015年09月29日

尋常小学校の国史を学ぶ〜「第六 聖徳太子(しょうとくたいし)」

皆様、ごきげんよう〜。

本日は、尋常小学校の国史の教科書から
聖徳太子のお話をご紹介します。
日本人なら、誰もが知っている有名人ですよね^^

ところで、とてもお若い方はご存知ないかもしれませんが…(笑)
聖徳太子は、日本で初めて発行された一万円札に描かれた
特別な人物でもありました。

一万円札.jpg

こちらの一万円札は、現在でも使用可能ですが
1986年1月4日をもって支払停止とされています。
改めて見ると、セピア色とグリーンを基調とする格調高いデザインで
味があって良い感じですよね〜晴れ

さて聖徳太子と言えば、中部大学名誉教授である大山誠一氏が

「聖徳太子は、日本書記の編者が大げさに美化して書き上げた
虚構の人物像である。厩戸皇子が実在したことは認めるが、
かの皇子には、実際のところ対した功績はなかった」

という説を打ち立てて広めたことで、
一時期は大論争が巻き起こっていました。

その大山説の影響を受けて、一部の教科書では
これまで「聖徳太子」と書いていた人物をあえて「厩戸皇子」
という表記に変えるという動きまで出てきたそうです。

まあ、そういったあたりのことをうっすらと気にかけつつ、
まずは尋常小学校の教科書の文章を読んでみましょうか\(^o^)/


****************

第六 聖徳太子
「尋常小學国史 上巻 昭和初期セット」より)

仁徳天皇から御十八代めの天皇を、
第三十三代推古天皇と申しあげる。
天皇は女帝でいらつしやつたから、
御甥(おんおい)の聖徳太子
摂政(せつしやう)として、
政治をおまかせになつた。

太子は御生まれつき人にすぐれてお賢く、
一時に十人の訴(うつたへ)をあやまりなく
お聞分(ききわ)けになつたとさへ傳へられてゐる。
その上、朝鮮の學者について深く學問を
おをさめになつたので、進んだ御考をおもちになり、
朝鮮や支那(しな)のよいところを取入れて、
いろいろ新しい政治をおはじめになつた。

さうして、遂には十七條の憲法を定めて、
官吏(くわんり)も一般の人民も、皆つねに
心得ておかねばならないことをお示しになつた。

太子は、また使を支那にやつて、
外國とのつきあひをおはじめになつた。
その頃、支那は國の勢が強く、
學問なども非常に進んでゐたから、日頃高ぶつて、
他の國々を皆属國のやうに
取りあつかつてゐた。
けれども、太子は少しも

その勢にお恐れになることなく、
かの國に送られた國書にも、

「日出づる處(ところ)の天子、
書を日歿(ぼつ)する處の天子にいたす、
恙(つつが)なきか。」

とお書きになつて、どこまでも對等(たいとう)の
つきあひをなさつた。

2015092920462900.jpg

支那の國主(こくしゅ)は、
これを見て腹を立てたが、
ほどなく使を
わが國に送つてきた。
そこで、太子も、
あらためて
留學生をおつかはしになつた。


その後、引きつゞいて互にゆききを
するやうになつたから、これまで朝鮮を通つて
わが國に渡つて來た學問などは、これからは、
すぐ支那から傳わることとなつた。

さきに、太子の御祖父でいらつしやる
第二十九代欽明天皇の御代に、
佛教
はじめて百済から傳わつて來た。
太子は、深くこれを信仰して、
多くの寺をお建てになつたり、
またしたしく教をお説きになつたりして、
熱心に御力をつくされたので、これから佛教は
だんだん國内にひろまつた。

かうして佛教がひろまるにつれて、
建築やその他の
技術なども、目立つて進んだ。
太子のお建てになつた寺の中で名高いのは、
大和の法隆寺で、そのおもな建物は、
今も昔のまゝであるといはれ、
わが國で一ばん古い建物である。

かやうに、太子は、内に於ても、外に對しても、
大いにわが國の利益をおはかりになつたが、
まだ御位にお卽きにならないうちに、御病のため、
とうとうおなくなりなつた。この時、世の中の人々は、
親を失つたやうに、皆なげきかなしんだ。

****************

さて、冒頭でお話した大山氏の学説についてですが、
以前、新しい歴史教科書をつくる会の「日本史検定講座」を
受講していたときに、高森明勅先生が解説してくださった
興味深いお話を以下に簡単にまとめてみます。

1.「古事記」が書かれたのは712年
2.「播磨國風土記」が書かれたのは713〜715年
3.「日本書記」が書かれたのは720年
4.「日本書記」より古い時期に書かれた「播磨國風土記」には、
 聖徳太子について以下のような記述がある

「…名号を大石といふ。
伝へていへらく、聖徳の王の御世(みよ)、
弓削(ゆげ)の大連(おおむらじ)の造れる石なり」

弓削の大連とは、物部守屋(もののべのもりや)を
父方の物部ではなく、母型の弓削の方で表した呼び名だそうです。
「日本書記」では「物部の弓削の守屋」と書かれていたそうで
「物部の弓削の守屋」=「弓削の大連」=「物部守屋」であります。

さて、そういったことを踏まえて、
上の「播磨國風土記」の文を
現代語的にかみ砕いてみますと…

「…大石と呼ばれるその石は、聖徳王の御世に
物部守屋が造ったものだと伝えられている」

といった内容になります。

当時から、天皇に対してのみ使っていた
「御世」という特別な言葉を、
「播磨國風土記」では
「聖徳王」に対して使っていることにご注目ください♪


つまり、「日本書記」の記述で見られた聖徳太子の
「摂政」という地位が、別の文献である
「播磨國風土記」の記述によって裏付けられたわけです。
そして「聖徳王の御世」という言葉からは、
「聖徳王」が天皇に匹敵する存在であったことが伺えるわけです!

以上のことから、大山説の「聖徳太子は日本書記の編者が
でっちあげたヒーローだ」という主張は崩れ去ったのでした。


「播磨國風土記」以外にも、聖徳太子の活躍を示す
確かな論拠はほかにもあります。
法隆寺の本堂に納められている釈迦三尊像の光背
(仏像などで後光を表した部分)の裏側には、
像の完成に合わせて銘文が彫り込まれていますが、
この釈迦三尊像は623年ごろに造られたものだそうです。
聖徳太子がお亡くなりになったのが622年ごろだそうですから
亡くなられる直前か、あるいは直後ぐらいに
この仏像が造られたのでしょうか。
物証としては、さきほどの「播磨國風土記」や「日本書記」よりも
さらにタイムリーなものになりますね。

(ちなみに、こちらが法隆寺の釈迦三尊像です↓)

釈迦三尊像.jpg

さて、この像の光背の銘文において、聖徳太子は
「上宮法王(じょうぐうほうほう)」
という呼び方で紹介されています。
この敬称は、聖徳太子が仏教において
卓越した指導者であったことを示しています。
また、銘文の中にある

「当(まさ)に釈像(しゃくぞう)の
尺寸王身(しゃくすんおうしん)なるを造るべし」

という記述は、現代語的にいうなれば、

「(この)お釈迦様の像は、ちょうど聖徳太子の
等身大ぴったりになるように作りましたよ」


ということになります。
このような仏像の作り方はすなわち、聖徳太子が
当時の日本において、お釈迦様のように立派で
尊敬される人物とされていたからこそ採用されたわけです。
かくして、この釈迦三尊像の成り立ちを調べたことで、
聖徳太子ご本人の身長(びっくり情報ですね〜)や
当時の人々に尊敬さていたことが
明らかになったのでした\(^o^)/

…という高森先生のお話がとても印象に残っていたので、
勉強していた当時の資料をひもときながら
皆様にも簡単にご紹介した次第です^▽^
面白いですよね!歴史のお話♪


それから聖徳太子と言えば、
小野妹子に持たせたという例のカッコイイお手紙
のことにも触れずにはいられません。

「太陽が昇るところの天子が、太陽が沈むところの天子に
お手紙を差し上げますよ〜。ごきげんいかが?笑」

この一文だけでね、もうねぇ…なんといいますか
ご性格のよさがにじみ出ていますよね(笑)
ブログ主は、聖徳太子ドS説を提唱していますがw、
聖徳太子は、この文面を思いついた瞬間にきっと
ものすごく爆笑なさったのではないでしょうかww
個人的には、ぜひお友達になりたいタイプですよwwww


ちなみに。高森先生の解説によりますと、
当時の隋は高句麗と激しく戦っていたそうです。
高句麗は隋にとって、何度戦っても倒せないくらい
かなり手ごわいライバル国でした。
そういった隋VS高句麗の内情を知っていた聖徳太子は
隋と高句麗が争いを始めたことをきっちり確認した後に
タイミングを見計らって遣隋使をやり、

「もし隋が私達日本の機嫌を損ねるようなことをしたら、
日本はあなた方の敵国である高句麗の味方について
隋の不利になることをいろいろとやっちゃいますからね?」


的な、強気の態度に出たわけです。かくして

「あなた方のところには
煬帝という天子がおられるそうですが
こちらにも推古天皇という
天子がいらっしゃるんですよ〜(笑)。
あらまあ、奇遇ですね〜、
どちらにも天子がいるということは、
私達はお互いに対等なのでしょうね〜(笑)(笑)」


というメッセージを送ったのでした。
THAT'S王道外交!すっごくクールですよねぇ、聖徳太子。
したたかであり、おもねらない、ユーモアのセンスもあり頭もよい、
本当に興味深い人物だなあと思います\(^o^)/

こんなに才能豊かで聡明な聖徳太子が、
仏教のどんなところに心を惹かれ、
なぜ精力的に広めようとしていたのか、
また仏教の布教によって日本をどんな国にしたいと考えていたのか、
ご本人にぜひインタビューしてみたいなあ…と楽しく想像しました♪


さて、聖徳太子の素晴らしさに惚れ惚れしていると
どんどん話が長くなりますので、最後のポイントに移ります。
聖徳太子と言えば、締めはこれでしょう!十七条の憲法でしょう!

現代語訳を、↓から転載してご紹介して、
本日の記事をおしまいにします。

ちなみに、こちらの現代語訳を読んでみて思ったのですが
聖徳太子のことをドSとか言って申し訳ありませんでしたw

なんとも先見の明があり、高い理想を恐れずに掲げ、
目下の者に対する愛情があり、己を律する力もあり…
本当に素晴らしい人だったのだなあと改めて思いました。
聖徳太子が、お釈迦様のことを篤く尊敬していた思いも
この十七条の憲法からは伝わってきます。

私達の国・日本においてはるか昔に、
こんな立派な人がこんな優れた提案をして、
世の中を明るく照らそうとしていたことを、
現代日本人である私達はぜひ知っておいたら
よいのではないかな、と思いました*^^*


***********************

十七条の憲法

第一条
一にいう。
和をなによりも大切なものとし、
いさかいをおこさぬことを根本としなさい。
人はグループをつくりたがり、
悟りきった人格者は少ない。
だから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、
近隣の人たちともうまくいかない。
しかし上の者も下の者も
協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、
おのずからものごとの道理にかない、
どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。

第二条
二にいう。
あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。
3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。
それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、
すべての国の究極の規範である。
どんな世の中でも、いかなる人でも、
この法理をとうとばないことがあろうか。
人で、はなはだしくわるい者は少ない。
よく教えるならば正道にしたがうものだ。

ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、
何によってまがった心をただせるだろうか。

第三条
三にいう。
王(天皇)の命令をうけたならば、
かならず謹んでそれにしたがいなさい。
君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。
天が地をおおい、地が天をのせている。
かくして四季がただしくめぐりゆき、
万物の気がかよう。
それが逆に地が天をおおうとすれば、
こうしたととのった秩序は破壊されてしまう。
そういうわけで、君主がいうことに臣下はしたがえ。

上の者がおこなうところ、
下の者はそれにならうものだ。
ゆえに王(天皇)の命令をうけたならば、
かならず謹んでそれにしたがえ。
謹んでしたがわなければ、
やがて国家社会の和は自滅してゆくことだろう。

第四条
四にいう。
政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。
人民をおさめる基本は、かならず礼にある。
上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、
下の者が礼法にかなわなければ、
かならず罪をおかす者が出てくる。
それだから、群臣たちに礼法がたもたれているときは
社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば
国全体として自然におさまるものだ。

第五条
五にいう。
官吏たちは饗応や財物への欲望をすて、
訴訟を厳正に審査しなさい。
庶民の訴えは、1日に1000件もある。
1日でもそうなら、年を重ねたらどうなろうか。
このごろの訴訟にたずさわる者たちは、
賄賂(わいろ)をえることが常識となり、
賄賂(わいろ)をみてからその申し立てを聞いている。

すなわち裕福な者の訴えは
石を水中になげこむようにたやすくうけいれられるのに、
貧乏な者の訴えは水を石になげこむようなもので
容易に聞きいれてもらえない。
このため貧乏な者たちはどうしたらよいかわからずにいる。
そうしたことは官吏としての道にそむくことである。

第六条
六にいう。
悪をこらしめて善をすすめるのは、
古くからのよいしきたりである。
人の善行はかくすことなく、
悪行をみたらかならずただしなさい。
へつらいあざむく者は、
国家をくつがえす効果ある武器であり、
人民をほろぼすするどい剣である。
こびへつらう者は、上にはこのんで下の者の過失をいいつけ、
下にむかうと上の者の過失を誹謗(ひぼう)するものだ。
これらの人たちは君主に忠義心がなく、
人民に対する仁徳ももっていない。
これは国家の大きな乱れのもととなる。

第七条
七にいう。人にはそれぞれの任務がある。
職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。
賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。
よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。
世の中には、生まれながらに
すべてを知りつくしている人はまれで、
よくよく心がけて聖人になっていくものだ。
事柄の大小にかかわらず、
適任の人を得られればかならずおさまる。
時代の動きの緩急に関係なく、
賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。
これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。
だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、
人のために官職をもうけたりはしなかった。

第八条
八にいう。
官吏たちは、早くから出仕し、
夕方おそくなってから退出しなさい。
公務はうかうかできないものだ。
一日じゅうかけてもすべて終えてしまうことがむずかしい。
したがって、おそく出仕したのでは緊急の用に間にあわないし、
はやく退出したのではかならず仕事をしのこしてしまう。

第九条
九にいう。
真心は人の道の根本である。
何事にも真心がなければいけない。
事の善し悪しや成否は、
すべて真心のあるなしにかかっている。
官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。
群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。

第十条
十にいう。
心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、
ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。
人それぞれに考えがあり、
それぞれに自分がこれだと思うことがある。
相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、
自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。
自分はかならず聖人で、
相手がかならず愚かだというわけではない。
皆ともに凡人なのだ。
そもそもこれがよいとかよくないとか、
だれがさだめうるのだろう。
おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。
それは耳輪には端がないようなものだ。
こういうわけで、相手がいきどおっていたら、
むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。
自分ではこれだと思っても、
みんなの意見にしたがって行動しなさい。

第十一条
十一にいう。
官吏たちの功績・過失をよくみて、
それにみあう賞罰をかならずおこないなさい。
近頃の褒賞はかならずしも功績によらず、
懲罰は罪によらない。
指導的な立場で政務にあたっている官吏たちは、
賞罰を適正かつ明確におこなうべきである。

第十二条
十二にいう。
国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。
国に2人の君主はなく、人民にとって2人の主人などいない。
国内のすべての人民にとって、
王(天皇)だけが主人である。
役所の官吏は任命されて政務にあたっているのであって、
みな王の臣下である。
どうして公的な徴税といっしょに、
人民から私的な徴税をしてよいものか。

第十三条
十三にいう。
いろいろな官職に任じられた者たちは、
前任者と同じように職掌を熟知するようにしなさい。
病気や出張などで職務にいない場合もあろう。
しかし政務をとれるときにはなじんで、
前々より熟知していたかのようにしなさい。
前のことなどは自分は知らないといって、
公務を停滞させてはならない。

第十四条
十四にいう。
官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。
自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。
嫉妬の憂いははてしない。
それゆえに、自分より英知がすぐれている人が
いるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。
それでは500年たっても賢者にあうことはできず、
1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。
聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては
国をおさめることはできない。

第十五条
十五にいう。
私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。
およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。
恨みがあれば、かならず不和が生じる。
不和になれば私心で公務をとることとなり、
結果としては公務の妨げをなす。
恨みの心がおこってくれば、
制度や法律をやぶる人も出てくる。
第一条で「上の者も下の者も
協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」
といっているのは、こういう心情からである。

第十六条
十六にいう。
人民を使役するにはその時期をよく考えてする、
とは昔の人のよい教えである。
だから冬(旧暦の10月〜12月)に暇があるときに、
人民を動員すればよい。
春から秋までは、農耕・養蚕などに力をつくすべきときである。
人民を使役してはいけない。
人民が農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。
養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。

第十七条
十七にいう。
ものごとはひとりで判断してはいけない。
かならずみんなで論議して判断しなさい。
ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。
ただ重大な事柄を論議するときは、
判断をあやまることもあるかもしれない。
そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。

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posted by はなうた at 20:42| Comment(0) | 尋常小学校の国史を学ぼう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月27日

雪の美術館に行ってきました〜

はぁーい!皆様。
中秋の名月の夜、いかがお過ごしでしょうか?
旭川は、おかげさまで快晴の月夜です\(^o^)/


日中には、一次的に大雨が降ったりもしていましたが
ブログ主は思い立って、本日は雪の美術館へ行ってきました。
実はまだ一度も行ったことがなかったのですが、
百聞は一見に如かずということで、ずっと気にはなっていたのです。

それで、今さらという感じではありますが…あせあせ(飛び散る汗)
今日から、旭川の名所めぐりを始めてみようと思いました\(^o^)/

DSC_0409.JPG

「優佳良織工芸館」と「国際染色美術館」と「雪の美術館」は
3館併設で、インターネット割引だと全部を1200円で見られます。

雪の美術館は、お城のように綺麗なところでした。
白を基調としたロマンチックな内装で、氷の回廊もあり、
夢に出てきそうな雰囲気の建物。
そして、館内のいたるところでコスプレイヤーの方々が
一生懸命に撮影をしていました
(絵になる場所だからなのでしょうね〜^^)。
あちらを見ればディズニー風のお姫様、
こちらを見ると金髪のウエディング姿のカップル、
そして、角を曲がったところに立っていたのは
青いウィッグの魔法使い、という何とも賑やかな状態。
いろいろな意味で魔法の迷宮に迷い込んだような気分になりました。

ちなみに雪の美術館では、階段の途中の小さなガラスの花瓶に、
アカツメクサやシロツメクサをこんな風に飾っていました。
野の花の可愛さを活かしていて、素敵な飾り方だなあ、
自分の部屋にもこんな風に飾ってみようと思いながら
参考までに、パチリ。

DSC_0465_R.JPG


続いて、優佳良織美術館。
こちらは、思っていた以上に良いところでした。
(なお、館内は撮影禁止でしたので画像はありません)

旭川っ子のブログ主にとっては、
優佳良織は、あまりにも見慣れた織物でした。
優佳良織が世界中で高い評価を受けている、
ということは情報としては知ってはいたものの
特別な思い入れは今までほとんどなかったのです。
けれど今日、優佳良織創設者である木内綾さんの
「北海道の自然から受けた感動を織物で表したい」
という情熱のこもった豊かな言葉に触れたり、
優佳良織の大作の数々を目にしていくうちに
すっかり考えが変わりました。

優佳良織というと、ブログ主は
コースターやミニタペストリーやポーチなどの
小さな作品しか見たことがなかったのですが、
今回、壁を覆うほど大きなタペストリーを
何種類も見ることができて、
しかもそれらがみごとに「流氷」や「冬の摩周湖」や
「秋の大雪山」や「白鳥の舞い降りた川」を表していたので、
本当にステキだなあ、これが優佳良織の魅力なんだと思いました。

そして、木内綾さんの色彩感覚や創造性の豊かさは
前にこちらの記事でご紹介した
小原ハル子さんにも
通じるものがあると感じました*^^*


それから、国際染色美術館では
『世界が装う〜着ける・飾る・楽しむ〜人はなぜ着るのか』
という常設展を見てきました
(残念ながら、こちらも撮影禁止でした)。

色・布・衣に関しては多少の興味を持っているブログ主ですので、
古今東西の衣服をたくさん目の当たりにすることができて、
とても楽しいひと時を過ごしました。

そして、昔、小説で読んで憧れていた
インドネシアの「グリンシン」という布を実際に見ることができました。
いつか見たいなあと思っていた布でしたので
今回、思いがけずに夢が叶い、とても嬉しかったです。

それから、数々の展示品を見て、しみじみ思ったのですが、
昔は特別な、限られた人達しか着ることを許されていなかった衣装を
現代の日本人である私達はほぼ好き放題に着ることができます。
これは昔の人達から見たら、夢のような時代なのだろうなあと。
着る物一つとっても、昔の人達から見たら随分と
贅沢な暮らしをさせてもらっているのだということに気づきました。
コスプレイヤーの方々にたくさん遭遇したこともあり、
「装う」ことを通して人間は何を獲得しようとしているのか、
そして自分はどう装いたいと思っているのか、ということを
悶々と考えたりして、それもまた楽しかったです^▽^ノ


さて、美術館を出たら、雨上がりの野菊が綺麗でした。

DSC_0413_R.JPG

本当は薄紫色をした野菊でしたが、光で白く飛んでしまいました。


それから、とっても風光明媚な旭川の眺めを堪能しました。

DSC_0454_R.JPG

「自分にとっての天国はやはりここ、旭川だ…ぴかぴか(新しい)
と今日もまた思ってしまいましたw


そして、秋らしく赤く色づいた実が綺麗だったのでズームイン。

DSC_0447_R.JPG


庭園のピンクのお花。陽の光に透けて綺麗でした。

DSC_0464_R.JPG


優佳良織美術館のロビーに掲げられていた
三浦綾子さんの言葉。
「善い樹は善い実を結ぶ」

DSC_0443_R.JPG


帰り道で、思いがけず月が出ていたので
テンションが上がって撮影しました。
「やったー、中秋の名月が見られる\(^o^)/」
(雨で見られないかと思い込んでいたのです。神様、ありがとう!)

DSC_0468_R.JPG


家に帰ってから、例のこの着物にささっと着替えまして、
上から割烹着を着て万全の態勢を整えましてから…

隠れ宇宙人(クラシック).jpg


お団子をこねて、茹でて、積みあげました。
お団子はやっぱり積みあげないとね!

DSC_0470_R.JPG

思ったようなシルエットにはならなかったけど、
このゆるい感じも、これはこれでOK('◇')bグッ


こしらえたお団子を、まずは神様にお供えします。

DSC_0473_R.JPG

お月見の夜にお団子を作れて、
綺麗な月を見ながら食べられるような
豊かな暮らしをさせてくださってありがとう、
の気持ちを込めてお供えしました(-人-)
(神棚のレイアウトがいろいろと自由すぎる点については
華麗にスルーしてください)

そして、お月見のごちそうと一緒にお団子をいただきました。

DSC_0471_R.JPG


ではでは、皆様もどうぞ素敵な月の夜をお過ごしくださいぴかぴか(新しい)



posted by はなうた at 20:47| Comment(0) | 私の好きな北海道(町おこし) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月26日

「もし戦争が起こったら、国のために戦いますか?」

尋常小学校の国史の記事を書くために
ちょっと調べものをしていたところ、
気になる統計を発見しました。これです。
「世界価値観調査」

「もし戦争が起こったら国のために戦うか」という質問に
世界のおよそ80か国の人が答えた結果が出ています。


世界価値観調査.gif

(出所)社会実情データ図録
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5223.html

世界の国々の中で「自分の国を護るために闘いますか」
と聞かれて「はい」と答えた人の割合が世界でダントツに低い国。
それが我が国・日本であることを上のグラフは示しています。

また、同じ世界価値観調査のほかの質問である
「自分の国に誇りを持っているか」
「権威や権力を大切にしなければならないと思うか」
という問いでも本は世界最低の結果を示しているそうです。

ちなみにこの統計は、2010年時のものですが
2010年の秋には、尖閣諸島支那漁船映像流出事件があり
2011年春には東日本大震災が発生しました。
また、2012年末には自民党の政権奪還がありましたし
今年2015年には安保法案が衆参両院で可決されました。

2010年から2015年の今に至るまでに、日本の「平和と安全」を
根底から見直さざるを得ない大きな出来事がたくさんありましたので、
同じ調査を今、行ったら、もしかするとこの数字は変わるかもしれません。

それでも、2010年の時点では
「もし戦争が起きたら、国のために戦うか」と聞かれた際に
「戦う」と答えた日本人の割合が15%であったという事実を
私達日本人は、よく覚えておいた方がよいと感じましたので
ここにご紹介しました。


ところでブログ主は、軍人ではありませんし、格闘家でもありません。
政治家でもなければ、スパイでもハッカーでもありません。
要するに、非常時にはほとんど役に立たないと思われる一般人です。
それでも、いざというときがきたら自分の最大限の力を尽くして
最後の最後まで戦って、日本を護るつもりでいます。
理由は単純です。

「自分は日本人に生まれたのだから、

日本と日本人を守るのは当然のことだ」

と思って生きているからです。

本日はそのことについて、皆様とご一緒に考えたいと思いましたので、
ブログ主の尊敬する人の一人、青山繁晴さんがご著書や
ご講演で取り上げていらっしゃるお話の中から、
とりわけ心に残る硫黄島についてのお話
ご著書から抜粋してご紹介したいと思います。


青山繁晴 著
『死ぬ理由、生きる理由 英霊の乾く島に問う』
ワニ・ブックス発行 

************************

P144〜P145

昭和19年、つまりこの硫黄島の戦いの前の年に
東京のご自宅からここに赴任されたのが
帝国陸軍の栗林忠道中将閣下でした。
その直系のお孫さんがいまの総務大臣の
新藤義孝さんでいらっしゃいます。

この栗林中将はこの島に赴任したときに、
それまでの日本軍の戦い方を
徹底的に自己批判しました。

敵を水際で迎え撃って玉砕すると、
あっという間に戦いは終わる。
いわばすぐ死ぬことができて、
自分たちの苦しみは短くなる。

苦しみは短くなっても、実はそのあと、
この平らな島を占領したアメリカ軍が
ここから本土へ爆撃機を飛ばして、
本土の女性や子供を根絶やしにして
祖国を潰(つぶ)してしまおうとするであろう。

だから自分たちがどんな苦しみを背負おうとも、
まず掘る道具もなかったけれども、
手の爪を剥がしながらでも、
この島で地下壕を掘ろうとおっしゃった。

その地下壕に立てこもって、
奥深くに敵をおびき寄せて、迎え撃てば、
この少ない兵士の数、足りない弾薬、
飛行機もほとんど使えない、そういう状況であっても、
戦いを引き延ばすことはできるという作戦を提案なさいました。

栗林さんは陸軍の将軍でいらっしゃいましたが、
それに対してとくに海軍いから激しい反対がありました。
あるいは兵士のなかには叛乱(はんらん)の動きもあった。
それを栗林中将は陸軍中将という御身でいながら、
自ら二等兵のところにまで回ってきて話をされ、
説得されました。

「お前たちが考えているとおり、俺たちはここで死ぬ。
二度と故郷に帰ることはできない。
自分たちが帰ることができなくても、
やがて本土で生き残った女性と子供が
次の日本を、新しい日本を築いてくれる」と。

「だから水際で迎え撃ってさっさと戦死してしまったり、
あるいはすぐにあきらめて
自決をしてしまったりということをしないで、
穴を掘って立てこもろう」と提案されて、
地下壕をほることにみんなの同意を得て、
地下壕を掘り始めていったのです。

************************

栗林中将や、中将の意見に賛同した兵士達や、
祖国日本を遠く離れた外国で亡くなっていった人達は
「自分達の子孫はきっと次の日本を、
新しい日本を築いてくれる」と信じていました。
そして、いっそ死んだほうがましなほどの苦しみの中でも
1日1日を必死で生き延びて、戦っていました。
「私達の子孫を生かしたい」、その思いだけを望みの光として。

そうして亡くなっていった人達がもし、戦後65年後の日本が
「戦争が起きたら、国のために戦う」と答える人の割合が
15%しかいない国になったことを知ったら、
どんな悲しい思いをするだろう?と想像することがあります。

日本の英霊の皆様は、その多くが健気で謙虚で心優しいでしょうから
「お前達のために死んでやったんだぞ!ありがたく思え」
なんて押し付けるような方々ではないと思います。でも、それでも…

「私達の死に対して、感謝しろとは言わないよ。
でも、私達があのとき、あんなにまで苦しんで
自分の命を張ったのは何だったの?
子孫達は、私達のことを知ろうとはしてくれないの?
子孫達は、私達が文字通り命がけで護った日本と
日本人を
大切にしようとする心が本当にないの?」

と、子孫である私達に尋ねてみたくなるのではないでしょうか。

易きに流れて生きていくということは、本当に簡単です。
「絶望したから」と理由をつけて、放棄することも簡単です。
かくいうブログ主も、しょっちゅうガッカリしたり悲しくなったり
怒ったり、やりきれなくなったりしていますが、
命を張って自分をこの世に送り出してくれた人達のことを考えると
つまらないことで腐っていられないな、と思い直します。

「次の日本を、新しい日本を作るための努力を
自分の命ある限り積み重ねるんだよ」
と思って、
疲れて落ち込んでいる日であっても最低限、
官邸メールだけは自動送信するようにしています
(ところで、官邸メールの自動送信ソフトを作った方々は天使です。
また、官邸メールのきっかけを作ってくれた嫁井さん改め余命さんも
ブログ主にとっては天使です。本当にありがとうございます\(^o^)/)

それから、時間はあるけれど考えがうまくまとまらないようなときは、
尋常小学校の教科書や文献の打ち込みとか、画像の整理をして
ブログ記事の下書きをできるだけ増やしています。
調子がよいときには、こんな感じで記事をつらつらと書き始めますし、
うまくいけばその日のうちに全部書き上げて、アップしています。

そういうことを通して、自分なりに日本を護っているつもりでいます。

こういう一連の姿勢に対して、ブログ主は、
素晴らしい言葉で称賛してくれる評論家を求めていません。
自分の後ろに付いてくれる取り巻きを求めていません。

求めているのは、こういう姿勢に共感してくれる人が一人でも増えて、
その人が自分の持ち場で、自分にできることを
一生懸命にしてくれることです。ブログ主にはそれが一番嬉しいです。

そしてブログ主は、既にご自分の持ち場で、ご自分にできることを
一生懸命にやっておられる方々のことを思い浮かべながら
こういう記事を書いています。
「あなたは一人ぼっちではないです。
私も、ささやかではありますが、あなたと同じ気持ちで頑張っています。」
とお伝えして応援したくて、この小さなブログを運営しています。


私達は、私達なりの方法で、この国を護るために戦いましょう(*´▽`*)
次の日本を、新しい日本を作っていくために…かわいい





2015年09月25日

浅田真央ちゃん、25歳のお誕生日おめでとうございます\(^o^)/

本日は、ブログ主や皆様の大好きな
浅田真央ちゃんのお誕生日です。

25歳のお誕生日おめでとう、真央ちゃん揺れるハート
真央ちゃんにとってこれから1年が、
ますます幸せで輝かしい年になりますようにぴかぴか(新しい)

さて、本日は、最近テレビで流れている
真央ちゃんの素敵なCMをピックアップします^^



いつも控えめに穏やかにお話をする真央ちゃんが、
このCMの最後では「一緒に、輝きましょう!」
と、とても力強く呼びかけています。
初めて見たとき、何だかジーンと感動しましたが
それ以来何度見ても、最初に見た時と同じように感動します^^

それから、最近のCMといえばこちらは外せません!



かつて、こんなにもかっこよくてドラマチックな
風邪薬のCMがあったでしょうか(((( ゚Д゚;))))

初めてこのCMを見たときは、
真央ちゃんのアクションがあまりにもキレッキレぴかぴか(新しい)
表情もかっこよくて…食い入るように見て、放心した後に
思わず大爆笑してしまいました。
だってもう、何から何まですごすぎるんですもんw

なんでしょうか、この表現力!この運動神経!このプロ根性!
女優ですか?いいえ、超一流のアスリートです!
そして、世界中の人々を感動の涙と喜びでうち震わせた
本物の身体芸術家です\(^o^)/

それにしても、この回し蹴り、この肘鉄…
何度見ても惚れ惚れしますなぁハートたち(複数ハート)

こちらのCMは、しつこい風邪を象徴するブラックスワンと、
風邪を撃退する風邪薬成分を象徴するホワイトスワンの対決を
表現しているそうですが…
悪役のブラックスワンに扮しても、
真央ちゃんは決して
「邪悪」な雰囲気にならないところが
不思議であり、素敵なんですよね〜(*´ω`)


真央ちゃんはブラックを演じているときでも、
ピュアで、サラサラ&スッキリしているのです。
ダーティーでドロドロ&ネバネバした感じにはならないのです。
そういうところにも、真央ちゃんの内面の美しさが
現れているよなあと思いました^^

このCMのメイキングもアップされていました。
ほっとする可愛い表情や、かっこいい動きが満載!面白いです。


ちなみに、このCMを何度も見ているうちに、
もしも『天岩戸』を映画化するならば
天照大神を真央ちゃんに、素戔嗚尊を山田孝之くんに
やってほしいな〜、なんていう妄想を膨らませました
(ブログ主は、山田孝之最強説支持者です\(^o^)/
『進撃の巨人』の実写版とか、
男役はみんな山田君がやればいいのに!と思っていましたw)

ところで、ストナのCMの15秒バージョンの一番最後に出てくる
舞ちゃんのニコッとした表情が個人的に大好きです^^
緊張感あふれる闘いのあとに、舞ちゃんのあの、ほのぼのした笑顔…
舞ちゃんには、舞ちゃんにしかない可愛さがあるよなあ、
と改めて思いました*^^*


それでは最後に、私が真央ちゃんのプログラムの中で一番好きな曲と
真央ちゃんが主人公の素晴らしい作品をご紹介して、終わりにします。



映像がとっても綺麗です。真央ちゃんとジェフの最高の演技が
クリアーに楽しめて、素晴らしい動画です。ありがたい!
そして退場の瞬間まで、真央ちゃんはピカピカに輝いていて
本当に美しい人です。見ているだけで幸せな気持ちになりますね。



自分の能力を最大限に磨き、
嬉しい時にも悲しい時にも謙虚さと感謝を忘れず、
素朴に明るく生きることの素晴らしさを体現している真央ちゃん。
ずっとずっと尊敬しています。
大好きです。

真央ちゃんにもらった感動を大事にしながら
ブログ主も自分なりに、頑張って輝いていこうと思います^^




posted by はなうた at 20:15| Comment(0) | 日本の美しさ・日本人の可愛さ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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