2016年01月31日

(二)「あめのぬぼこ と あめのみはしら」に思うこと

皆様、ごきげんよう♪

第2回の「生きるために読む古事記」は
2月中旬にアップする予定でしたが、
もうすっかり書いてしまったので、出し惜しみせずに
アップすることにします。

今回も、読み聞かせ用の動画をつくりました。
原文の読み聞かせも、今回までで十分かなあ、と思ったので
今回でいきなり最終回です。



「古事記の時代の日本人の言葉って
案外、感覚的に分かるものだなあ」と気づいてもらえれば、
それでいいかなと^^
そして、ひらがな表記と現代語訳を並べて読むと、
思っていたよりスムーズに読めるものだな、と思ってもらえれば、
素人なりに苦労(笑)して動画をつくった甲斐があります。
よろしければご覧ください♪

さて、本題の「解説」に入りますが!その前に!

第1回の「生きるために読む古事記」を読んでくださり、
そしてこの第2回も読んでくださる方に、
心から感謝申し上げます。
どうもありがとうございます!

それでは第2回の解説に入ります!

今回の物語は
「あめのぬぼこ と あめのみはしら(以下「あめの」)」です。

「あめの」では、前回の「あめつち」で登場した
伊邪那岐神伊邪那美神が、
天つ神からとあるミッションを授かることになります。
それと同時に、伊邪那岐と伊邪那美の二柱の呼び名が
ひっそりマイナーチェンジするところにも、ぜひ注目です^^

そして、伊邪那岐と伊邪那美の二柱はがっちりとペアを組んで
前人未踏の世界に分け入り、大仕事に挑むわけですが…

そこで二柱の神は「現象世界の誕生」「世界初の青春と恋(!)」
「世界初の問題発生」「世界初の問題解決」などなどを経験します。
なんともスケールが大きく、ドラマチックな展開が待ち受けております。

これらの華々しいできごとに対して、
我が日本国を生んだ尊い二柱の神々がどのように感じ、考え、
対応したのか?が、ズバリ!今回の最大の見どころとなるでしょう(^◇^)ノ

それでは、早速「あめの」の物語を読み説いていきま〜す!!
ちなみに、今回もめちゃくちゃ長い記事になりますので、
休み休み読んでください\(^o^)/


「言葉」や「音」で創造する、という考え方

「あめの」の物語では、冒頭に天つ神が登場しまして、
伊邪那岐と伊邪那美にミッションを託す場面からスタートします。

「天つ神」とは、前回の「あめつちのはじめのとき」で登場した、
理想の世界で活躍する神様達のことでしたね^^

天つ神は、理想の世界全体に自分の名前を鳴り響かせることで
名前に込められた「言霊(言葉の力)」を発動させて、
自分達の属する世界をよりよくするためにはたらきました。

また天つ神は、それぞれが己の役割をしっかりと把握していました。

自分がはたらく際は、横暴な振る舞いや争いごとは一切せず、
嫉妬にかられた末の足の引っ張り合いなどとも無縁。
周りの神様達と「同じ目的をもつ仲間同士」として調和しながら
理想の世界において、素晴らしい連係プレーを成し遂げました。

天つ神のこういうあり方は、とても日本的だなあと感じますね*^^*

さて、そんな天つ神達が「理想の世界」を無事つくり終えまして、
いよいよ「現象の世界」を構築する段階に入りました。
(理想の世界と現象の世界の違いにつきましては
前回の「あめつち」の解説をお読みください)

現象の世界の構築にあたり、天つ神は自分達の思いやイメージを
伊邪那岐と伊邪那美の二柱に向けて、とうとうと語り伝えます。
なぜなら、「思い」こそがすべての創造の根幹となるものであり、
回のミッションでは、思いを託すことが何よりも大事だからです。

かくして、いよいよ伊邪那岐と伊邪那美に
具体的な使命を告げるのでありますが、その使命とは!

「このただよえるくにを つくり おさめ かため なせ」

というものでした^^これを現代語的に分かりやすく訳すなら、

「このあいまいな現象の世界で
ものごとを創造して、
それらに確かな形を与えなさい」

という感じになるかと思います。

そしてこのとき、天つ神は二柱に「あめのぬぼこ」なるものを授けます。
「あめのぬぼこ」の漢字の表記は天沼矛なのですが、
私はこの漢字を眺めていて、なんとなく

=神々の完成させた、完璧な理想の世界

=いまだにドロドロで不確定の、ただよえる現象の世界
=天つ神の理想を、現象の世界にしっかり伝えて響かせる
    強くてまっすぐな意思の象徴

という思いを込めてこの漢字を選んだのかもしれないな、と感じました^^

さて、壮大な使命を託された伊邪那岐命と伊邪那美命でしたが、
まずは天浮橋に仲良く並んで立ちまして*^^*
どろどろであいまいな現象の世界に向けて、天沼矛を挿し下ろします。
ここで「しお こおろこおろ に かきなして ひきあげたまうときに」
という一節が出てまいります。
これは私なりの解釈なのですが、
天沼矛は、どろどろの潮をかき混ぜるための道具などではなく、
不確定の現象の中で、天つ神の理想を書く(描く)ための
ペン、筆記具のような役割を果たしていたのではないでしょうか。

古事記の原文で、天沼矛でかきなす様を「畫鳴」と記してあるのが
以前から何となくずーっと気になっていたのですが、
これは、もしかしたら従来のイメージの「かき混ぜる」ということではなく、
「思いの丈を、音が鳴るぐらい力強く書(描)いていた」
ということなのかもしれません。

そして「こおろこおろ」というのは、矛で潮をかき混ぜるときの
擬態語または擬音語だとずっと思っていましたが、これも、もしかしたら
二柱の神が「こおれ、こおれ♪」と願いを込めて楽しく口ずさんで、
熱くどろどろの潮を冷やし固めているところを描写したのかも、
さっきハッと思いつきました(笑)

まあ、こういう解釈があってもいいんじゃないかなあ、と思い
ちょっと持論を展開してみました^^
面白がって読んでいただけましたら、幸いです。

さてさて、「こおろこおろ」という言葉が
潮を混ぜるときの擬態語または擬音語なのか、
はたまた「こおれ、こおれ♪」のおまじないの文句なのかはさておき、
二柱の神が「こおろこおろとかきなし」たことで、
正体不明な感じで漂っていたあやしい世界(笑)に
初めて「おのごろじま」という確かな「形」がもたらされたわけです。

この「音を鳴り響かせて世界をつくる」というやり方は、
前回の「あめつち」の物語において
神々が自分達の名を高らかに鳴り響かせることで
「言霊」や「音霊」の威力を発動させ、
理想世界を構築していったやり方と相通じるものがあります。


そして、これらの創造の過程の描写からは、古代の日本人が
言葉や音の力を重視していたことが推測できます。
やはり日本という国は、昔も今も
「言霊のさきわう国」「音霊を重んじる国」
なのでしょうね^^

そして「言葉」といえば、着目したいのは「おのごろじま」という言葉です。
この島は神々の思いの結晶として、現象の世界で
初めて確かな形を与えられた、記念すべき島でした。

それにしても、世界で初めて生まれた島の名前が
何でこんなゴロゴロしたお芋みたいな名前なのだろう…?
とずっと不思議に思っていたのですが、
故・谷口雅春氏や伊藤八郎先生の著書を読んでいると
面白い説が紹介されていました。

「おのごろ=おのずからこごる(凝る)/
おのずと転がる(回転する)」という音から読み解くと、
この『おのごろ島』は地球を表しているのではないか」

と。なんともドラマチックで、素晴らしい解釈ではないでしょうか^^

それに「おのごろ島=地球」だとすれば、
伊邪那岐命と伊邪那美命が
地球という現実世界へと降り立って、
そこで協力し合って「国生み」をしていくという流れを
自然に思い描くことができます。
なので私の解釈としても、地球=おのごろじまということで
行きたいと思います♪


ものごとを調和的に生み育てる「三つの役割」

今回の「あめの」の物語で、私が特に重要だと考えているのは
ものごとを生み育てる際の要となる「三つの役割」です。

「あめつち」の物語でも、「あめの」の物語でも、登場人物だけを変えて
まったく同じ役割が再現されているところに着目しました。

振り返れば、「あめつち」の物語では、
最初に「あめのみなかぬしのかみ」が登場しました。
そのあとに、陽のはたらきを司る「たかみむすびのかみ」
陰のはたらきを司る「かみむすびのかみ」が現れました。

この誕生の順番は、次のような世界観を表しているのではないでしょうか。

「ものごとを生み出す上で、一番最初にあるべきものは
「このようなものを生み出したい」という「思い」

その次にあるべきものは、「思い」を共有した上で
結びつき、新たなものを生み出していく、
対極の性質をもった二つの存在

つまり、本来は相反する二つの存在が
「思い」を拠りどころにして
結びつき、
協力し合い、ものごとを生み出すことで、
世界の可能性は押し広げられ、より豊かになっていくということ」

そして、この「あめつち」の物語での誕生の順番が、
「あめの」の物語でも、登場人物だけを変えて
まったく同じように再現されているのです。しかも、2回も!

まず1回目の再現においては、
「あめのみなかぬし」の果たす「思い」の役割に対応するのは、
「あめのぬぼこ」です。
これは、「よりよい世界をつくりなさい」という任命と共に
天つ神から伊邪那岐と伊邪那美に託されたものでした。
矛は、天つ神の「くにづくり」に対する、
強く固い意思の現れとも言えるでしょう。

この「中心となる思い」を受けて、
ものごとを生み出す役割を担うのは、
陽のはたらきを持つ「たかみむすびのかみ」に対応する
男性の神である「いざなぎのみこと」
そして、陰のはたらきをもつ「かみむすびのかみ」に対応する
女性の神である「いざなみのみこと」です。

理想の世界のはじまりも、現象の世界のはじまりも、
「三つの役割」が担っているという点ではみごとに呼応しています。

さらにいえば、伊邪那岐と伊邪那美が結ばれるシーンにおいても、
二柱は単にいきなり結び交わったわけではなく、
まずは「あめのみはしら」を中心にして、
お互いが行き巡るという動きから始まりました。

この「あめのみはしら」は、地球に降り立った伊邪那岐と伊邪那美が
「見立てる」ことで、一番最初に出現させたものです。
ちなみに、「見立てて出現させる」とは、どういうことかと言いますと、
二柱の神が「ここに『あめのみはしら』がある!」と確固たる意思を持ち、
その意思で持って物質を現象の世界に出現させた、ということです。

それはなんだか魔法のようで、不思議な話だと思われるかもしれません。
けれども、たとえば私達の日常生活においても、
自分が気に留めないモノは目にも入らず、
つまり「無いも同然」という感じでスルーしているものです。
しかし、一旦ある「ものごと」を意識するようになれば、
今まで気にも留めていなかったものが初めて視界に入るということがあり
「なぜ自分は今までこれを見落としていたのだろう?」と感じた経験が
誰にでも1回はあると思います。
認識して初めて目に入る、とはそういうことです。

私達が「ある」と思ったものごとは、私達の目の前に立ち現れますし、
私達が気にも留めないものごとは、私達の前には決して表れません。
これは神様の特権ではなく、私達人間にも同じように言えることなのです。

さて、話を「三つの役割」に戻します。

二柱の神が見立てて出現させた「あめのみはしら」は、
漢字で書くと「天之御柱」となりますが、おそらくこの柱は、
天つ神のおわします理想の世界と、
おのごろじまがある「現象の世界」をつなぐ、立派で美しい柱だと思われます。
伊邪那岐と伊邪那美にとっては、まさに「心のよりどころ」となるものでしょう。

この柱を「はじまりの場所」かつ「行動の軸」としながら、
「いざなぎのみこと」という陽と「いざなみのみこと」という陰が調和し、
結びつくことで新たなものを生み出していくという図式は、
上で説明した2つの創造のパターンとまったく一緒です。つまり

「あめのみなかぬし―たかみむすび―かみむすび」
「あめのぬぼこ―いざなぎのみこと―いざなみのみこと」
「あめのみはしら―いざなぎのみこと―いざなみのみこと

という風に呼応しています。ということで、古事記におきましては
「意思・思い―陽性(男性性)―陰性(女性性))」
ものごとを調和的に生み出す上で必要な
三つの役割ということになっているのです。

古事記の「総論」部分となっている、最初の方の話において
登場人物を変えつつ3回も描いたこの「三つの役割」の強調ぶりは、
「何ごとも最初に意思ありき、意思こそが一番大事だ」と古代日本人が
後世の私達に何度も繰り返し、語りかけていることなのだと感じます。

ちなみに、「もしも『中心的な思い』というものが欠如していて
陰陽しかなかったとしたら、
ものごとはどのように生み出されていくのだろう?」
と考えてみたのですが、やはり陰陽だけでは
世界をよりよく、かつより豊かな場所にしていくのは

難しいのではないかと考えています。

陰と陽、火と水などのように、
性質がまったく異なるもの同士は
反発し合いながらも引かれ合うでしょう。
また、その結びつきの過程でももちろん、
さまざまなものが生み出されていくと考えられます。

けれども、陰と陽の間に「中心となるべき適切な何か」
がない状態が続くと、いずれは、
どちらかがどちらかを支配・征服しようとして
争いごとが起こるのではないでしょうか。

たとえば、あるグループの構成員が一丸となって
「同じ目的を持つ仲間同士、足りないところを補い合って
一緒に頑張りましょうね!」と心から思えるなら、
自分の特徴を受け容れ、相手の個性を認めながら
お互いを高め合ってくこともできるでしょう。
けれども、目的という「中心」がまったくなければ、
どんなに豊かで素晴らしい個性の集合体であっても
やがては争いや嫉妬を生んでいくように思います。

古事記が「あめのみなかぬし」「あめのぬぼこ」「あめのみはしら」
という存在を描くことで、一貫して訴え続けてきたのは
「調和的な中心を持つことの大切さ」なのではないでしょうか。

「みんな違って、みんないい」
という考え方は、もちろん素晴らしいものです。
ただ、その「みんな」が、それぞれによりよく成長して発展していくためには、
「みんなで協力し合って、よりよいものを作っていこうね」という
共通した目標というか、心のよりどころが必要になると思います。

そして、私達の国・日本は「天皇」という中心をいただいてきたからこそ
国民という多様な個性の集合が調和し、結びつくことができたのでしょう。

私が生まれた昭和の時代には、昭和天皇がいらっしゃいました。
昭和天皇が崩御されたのちには、今上天皇が即位なされました。

昭和天皇も、今上天皇も、変わることのない大御心をお持ちです。
「よりよい国をつくりたい。そのために、自分の役割を最大限に果たしたい」
そういう思いを揺るぎなくお持ちだからこそ、
みごとな国の中心としてあり続けておられます。
そして、国の中心、ひいては世界の中心に、
中心としてふさわしい思いをもったご存在がいてくださったからこそ、
日本は皇紀で数えても2676年も続いているのだと思います。
日本という国は、調和的にものごとを生み出していくことの素晴らしさを
その歴史をもって証明しているわけです。
その点だけでも、日本は世界に誇るべき国であると私は考えています。


呼び名が変わり、身体を得た伊邪那岐と伊邪那美

さて、お気づきの方もいらっしゃったかもしれませんが、
前回の「あめつち」の物語では、二柱は
「伊邪那岐」「伊邪那美と呼ばれていました。
ところが、この「あめの」の物語からは
「伊邪那岐」「伊邪那美という呼び方に変わっています。

これはおそらく、二柱の神が天つ神から
「現実世界(=ただよえるくに)の修理固成」という具体的な
「命(みこと=使命、ミッション)」を授かったことで、二柱のあり方が
それまでの「神(かみ)」という、全てに溶け込み隠れてはたらく存在から
「命(みこと)」という、現実的な姿を獲得し、表立ってはたらく存在へと
切り替わったからではないでしょうか。

これは、谷口氏の本にも伊藤先生の本にも書いていないことで
個人的な推測なのですが、先ほどまで「神」と呼んでいたものを
わざわざ「命」に変えたということは、決して気まぐれなどではなく
「任命されたことで、肩書きが変わるように立場が切り替わったから」
ではないかと私は想像しています。

また、二柱の神が「おのごろじま」に降り立った際に、
伊邪那岐命と伊邪那美命が、
お互いの体について質問し説明し合う場面があります。
以下は、私の現代文訳でのやり取りですが、まずはご一読ください。

伊邪那岐お前様の体は、どのように 形を成しているか

伊邪那美「「
私の体は、 みごとに形を成しましたが
 一か所だけ、育ち切らなかったようなところがございます」

伊邪那岐
「私の体も、みごとに形を成したのだが
一か所だけ、余分に育ちすぎたようなところがある」

こういう会話をしているということは、つまり、
二柱の神はごく最近、体らしい体を持ったばかりで、
しかも自分の体のことは何となく分かっているものの
相手の体については、まだよく分かっていない段階なのではないか、
と思われるのです。

おそらく、伊邪那岐と伊邪那美の二柱は
「天浮橋」という理想世界のエリアから
「おのごろじま」という現実世界のエリアに入った際に、
私達の肉体に近いような体を得たのではないでしょうか。

私が参考にしている故・谷口雅春氏や伊藤八郎先生のご本によれば

「伊邪那岐や伊邪那美は神様なので、
私達人間のような肉体は持っていない。
また、いわゆる『みとのまぐわい』についても、
人間が行う性交とは異なる行為であったのではないか」

と推察されていますが、
私は、この点では先生達とは異なる意見を持っています。

ここからは、話的にはフライングになりますが
のちに伊邪那美は、火に関わる神様を出産したことで
「みほとや(女性の陰部)」が焼けてしまい、
それがもとで亡くなったということが明確に記されています。

また、その伊邪那美の死体からは、おう吐物や尿、便が流れ出し、
それらの中から驚くことに、有益な神様が生まれ育っていきます。

さらには、もっと後の話になりますが
命からがら黄泉の国から逃げ帰ってきた伊邪那岐は、
疲労してけがれた自分の体を水で洗い清めて、けがれを落とします。
そのけがれからまた有益な神様(有名な天照大神など)が誕生します。
それによって伊邪那岐は、心身共にリフレッシュ&リラックスするのです。

そういった物語の描写があることも踏まえて、改めて考えてみますと、
「陰部やおう吐物、糞尿、水浴びの描写は肯定するけれど
性交の描写だけは否定する」というのは
かえって不自然な気がするのです。

そもそも、神々が「みとのまぐわい」を行うことは
そんなにも恥ずかしく、低俗なことでしょうか?

まあ、これがもし「古事記」の中で

「性の快楽に溺れた神々は、次々と、
みだらな行為の虜になりまして!」

「やがて、別々の神同士でも、くんずほぐれつで
熱く激しく交わるようになってしまい!」

「酒池肉林の狂乱が永遠に続くのでしたフンダララー」


的なことが書かれていたら「とんだドスケベホイホイ物語だな、オイ」
「どこのギリシャ神話だよ」と私も爆笑せざるを得ませんが、
「古事記」の描写を見る限りでは
全然そういうノリでは描いていないのです。

そもそも、初めて「おのごろじま」「やひろどの」
「みとのまぐわい」を行う前に、
伊邪那岐は伊邪那美に、こんな風に提案をしているのですよ。

伊邪那岐「この私の体で 、余分に育ちすぎたようなところを
お前様の体で、育ち切らず 足りないようなところに
さし入れて塞いで、
国土を成す子を生み育てようと 思うのだが、
どうだろう?」

伊邪那美「それはよいことでありましょう^^

と来たもんだ\(^o^)/♪

つまり、この二柱の神は、
強引に相手を組み伏せるわけでもなく、だますわけでもなく!
さらには、どちらかが「自分の方が偉いんだからね!」と威張ったり、
また、どちらかがコンプレックスなどで卑屈になるようなこともなく!
こういう感じなんですから!↓

「僕の体には、何だか余っているところがあるんだよね…(´・ω・`)

その、余っているところを、君の体の足りないところと合わせて
お互い調和して、新しいものを一緒に生み出したいんだけど…

それについて、君はどう思う?(`・ω・´)」

「いいと思いま〜す(*´▽`*)」


ってことですよ!も〜!何でしょうか!この神々は!
可愛すぎますでしょう。ものすごく和みますでしょう。
そして、なんとまあ、洗練されていて、クリエイティヴかつ
スケールの大きな口説き文句なのでしょうか!ばんばん!!

このくだりだけでも、私は日本をものすごく誇りに思います\(^o^)/

しかも、しかもですね!
二柱の神は、ここからいきなり性的な交わりを始めたわけではなく、
まずは天之御柱を中心にして、お互いが行き巡ったのですが
(やることなすこと、初々しい恋人同士そのものですよね^^
私が冒頭で「現象世界初の青春と恋が描かれています」と書いたのは
ここの描写のことですよ)、
二柱の神はお互いに顔を見合わせた瞬間、
伊邪那美の方から先に、こんな風に口走ってしまうのです。

「ああ!なんて美しい若者なのかしら(´▽`*)」

乙女・伊邪那美は、思ったことをそのまんま言っちゃったのでしたw

このときの伊邪那美の口走りは、後に大問題に発展するのですが(笑)
これまでの流れを見ていたらどうにもこうにも
「伊邪那美って、なんだか天真爛漫で、可愛い女性なのだなあ」
さらに胸がキュンとしてしまったのでした。

伊邪那美といいますと、私のこれまでのイメージではどうしても
黄泉の国で全身を雷(火の玉?)だらけにして
全身がすっかり膿でただれ、蛆でおおわれ、
黄泉平坂では夫の伊邪那岐に対して
すんげーおっかない脅し文句(笑)を吐いたりしていたので
文字通り「鬼のような女神」の印象が漠然とあったのですが…

「あめの」の物語を読んでいると、
伊邪那岐の「国生み」の提案に対しておっとりと賛成していたり、
伊邪那岐の顔を見て「ああ、なんて素敵な人」と無邪気にコメントしたり、
なーんだ、すごく可愛い女性じゃないか!とすっかり好きになりました。

そして、こんなに素直で愛らしい妻・伊邪那美のことを
伊邪那岐もきっと愛おしく、大切にしていただろうと思うのです*^^*
また、心から愛していたからこそ、
最初の国生みが思ったようにうまくいかなかったときも、
伊邪那岐は伊邪那美を怒鳴りつけたりいじめたりしないで、
二柱の神同士で向かい合って相談をしたわけです。

そして天つ神のアドバイスを受けて、気持ちも新たに「国生み」を再開し、
そこから数えきれないほどの神々をせっせと生み出しましたし、
伊邪那岐は伊邪那美を失ったあとは悲しくて、会いたくなって
伊邪那美を黄泉の国まで迎えに行ったのです。

本当に、ものすごく愛に溢れていて、平和的で、素敵なカップルですよね。
そんな二柱の夫婦神のありようからは、
お互いを恋い慕うことの甘さと幸福感と、切なさが感じられます^^


伊邪那岐と伊邪那美から見えてくる「神性」

では、「あめの」の最後のテーマに入ります。

伊邪那美が、天之御柱の向こうから現れた伊邪那岐を見た瞬間
あなにやし、え、おとこを(ああ、なんて素敵な若者でしょう)
と言ってしまったことが、「みこひるこ(骨のない、ぐにゃりとした子)
あわしま(あぶくのような曖昧な子)を生む結果へと繋がりました。

このことは、調和のうちにものごとを生み出すメカニズム、つまり
「ものごとが『陽』から発せられ、発せられたものを『陰』が受け取る」
ということにそぐわなかったために起きたことですが、
「みこひるこ」や「あわしま」を生んだことは、決して失敗ではなかった、と
私は考えています。

調和を生み出すために必要な秩序というものが何なのか、
二柱の神はこの体験をもって知ることができたのです。
また、その体験がこうして後世に語り継がれ、
私達が調和的に生きるための知恵となっているのですから、
私は二柱の神の最初の2回の国生みについては、
ありがたいことだったなあと感じています。

そして、伊邪那美が先に「あなにやし〜」と言葉を発した件についても、
私は、これは決して間違いでもなんでもなく、
純粋な「神性の発露」だと捉えています。

そもそも古事記の天つ神というのは、
基本的に純粋で楽しくて、喜びに満ちているものです。

たとえば「あめつち」の物語では、
理想の世界に必要なはたらきがほぼ出そろったところで、
にっこり笑って満足するおもだるのかみが生まれました。
そして、同じく「あめつち」の物語で、陽と陰が結びつくことで
初めて誕生した神様の名前は
うましあしかびひこじのかみでした。
この名前を私なりに解釈しますと、
うまい! 葦が芽吹くときのように勢いよく、
力強く萌え出て姿を現す、男性的なはたらきということでした。

そう、「ありがたい」でも「おそれおおい」でもなく、
うまし!(うまい!おいしい!イエイ!(笑))という、
ノリノリの感嘆の言葉を冠した神様が、
陽と陰の結びつきから、飛び出るように生まれてきたわけです。

そんなハッピーな天つ神の申し子である、女の子の神様、伊邪那美が
ものすごくいい男である伊邪那岐を見た瞬間に
「うわあ、素敵な人!大好き(*´▽`*)」と幸せいっぱいに叫んでしまったのは、
伊邪那美が純粋な天つ神だったからです。
天つ神は、喜びに満ちていて素直な存在なのです。
神様にはそういう側面もあるのだから、仕方がないんです(笑)
ですから伊邪那美の口走りについては、結局は、
神が神たるゆえの神性の発露なんだろうなあ、と私は思うのです。

一方で、自分が先に声を掛けようと思っていたところ
すっかりタイミングを奪われた(笑)伊邪那岐の方は、
一応、あなにやし、え、おとめを(あっ…か、可愛い乙女だなあ)
とは言ってみたものの、なんだかモヤモヤしていて、後に
おみな こと さきだちて ふさわず
(女から先に結びの言葉を発するのは 何かしっくり来なくて、よくないなぁ)
と自分の感じたことを感想として漏らすのです。

その後、天つ神のところに相談に行ったときに
おみな こと さきだちし に よりて ふさわず
(女の方から、結びの言葉を先に 発してしまったことがよくなかった)
と天つ神から占いを通してヒントをいただいたわけですが、
これは先ほどの伊邪那岐の直感が正しかったことを表しています。

天つ神から生まれた伊邪那岐は、身も心も天つ神と繋がっています。
だからこそ天つ神の思いを、直感を通して受け取ることができます。
このこともまた「神性の発露」なのだなあと、私は捉えています。

そして、これは伊邪那岐に限った話ではなく、
私達人間においても同じことが言えると思うのです。

直感を通して、自分の中にふっと響いた真実を、
丁寧に見つめて、大切にして、生きていく。
それが、自分を満たし、安心させ、幸せにすることなのだと思います。


ちなみに、伊邪那岐と伊邪那美が天つ神のところに行ったときに、
相談された天つ神が占いを行うことで、
自分よりさらに上の天つ神の意見を明らかにする、というくだりで
「何だよ!占いかよ!」「相談された天つ神自身が答えないのかよ!」
などなどのツッコミが入りそうですが(笑)

これは、何か迷い悩むことが起きたときには、
より中心の、より上の存在に
答えを求めるという
日本的なスタンスの表れ
なのでしょう。

また「占いで、果たして天つ神の意思が分かるものかな」
とも思う方もいるかもしれませんが、
理想の世界や現実の世界や神様達を
じゃんじゃん生めるくらい、スーパーな天つ神が

伊邪那岐と伊邪那美の真剣な悩みを
知らないはずがありません。

また、その悩みに対して、占いを通して
最適な答えを与えることができないはずがありません。


完璧な天つ神は、すべてまるっとお見通しなのですから(´▽`*)ゞエヘヘ♪


はい!ということで、「あめの」の解説は以上となります。

いかがでしたでしょうか\(^o^)/

私が「古事記ってすごく面白いですよ!」と
たびたび、興奮しながら(笑)皆様に力説してきたことの片鱗でも
実感していただけましたら、私としても大変嬉しいです。

なお、上のような読み解き方につきましては
「こじつけじゃないの」「駄洒落みたい」という意見も
もちろんあるかとは思いますが…

そもそもが、日本の和歌の世界からして
こじつけや駄洒落やダブルorトリプルミーニングの宝庫でありますゆえ、
日本で初めての和歌(素戔嗚尊が読みました)を載せた書物である古事記が
さまざまな解釈を引き出せる豊穣な意味合いの物語であったとしても、
何の不思議もないよなあ、と私は考えております(ΘДΘ)♪


<参考文献>

出版社:光明思想社 
著者:伊藤八郎
『古事記神話入門』

出版社:日本教文社 
著者:谷口雅春
『限りなく日本を愛す』

posted by はなうた at 19:09| Comment(1) | 生きるために読む『古事記』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月30日

気が向いたので、久々に当ブログの検索ワードを眺めてみました

皆様、ごきげんよう♪

昨日、久しぶりに当ブログの「検索ワード」を眺めたのですが
検索を利用された方のうち何名か、どう考えても
「検索ワード欄を簡易コメント欄的に利用しているのかも」
と思われる方々を発見しましたよ。たとえば、こんなワードです↓

「秋篠宮の眞子様は威厳があってかっこいいですね」

これはもはや検索ワードではなく、普通に感想文ですよね?(笑)

それはそれとして、私も眞子様はかっこいいなあと思います。
威厳と気品がありながら、可憐で女性らしさもあるんですよね。
奇跡のような存在です。

一方で佳子様は、春の花束のような華やかさと愛らしさがありながら
若武者のように凛々しく芯が感じられて、堂々としていらっしゃいます。
私は、佳子様の素敵さにも魅了されています^^
秋篠宮家の方々は本当に美しいなあ、と惚れ惚れと見とれています。


「許す心はどうやって作ればいいか?」

これは、「他人を許す心」ということでしょうかね?
そうだと仮定した上で、
私の個人的な意見を書いてみますよ(気が向いたので)!

他人のことなんか、どーでもいいんですよ。ホントに。
他人が自分に何をしたかなんて、結局些末なことなんですよ。
自分が自分をまるごと許して、慈しんで、愛せばそれでいいんですよ。

突き詰めた話、私達人間は、自分自身を許せなくて愛せないから、
そのきっかけを作った(と自分が思い込んでいる)他人を
許せなくて苦しんでしまうのではないでしょうか。

他人を変えようとしたところで、他人は変わらないですからね。
自分だって「この人、私のことを無理やり変えようとしている!」
と思ったら、ムカついて抵抗するでしょう(笑)誰だってそうです。
他人を変えようと思って奮闘するのはエネルギーのロスです。

ですから、もし本当に自分自身を楽にしたいのであれば、
他人ではなく、自分自身を見た方が話が早いんじゃないでしょうか。

私のオススメは、とりあえず「潜在意識 自愛」で検索してみること。
自分を許して受け容れるための興味深いメソッドや
面白い体験談がたくさん出てきますので、その中から
自分がピンと来たものにトライしてみてはいかがでしょうか。

自分が自分を許して、愛して、満たされるようになったら、
他人が何をしてこようが、次第に気にも留めなくなってきますし、
そもそも「自分を傷つける他人」の登場頻度が激減します。

そして、この言葉は、あまりよい意味では使われないのですが
「自分さえ良ければそれでいい」だと思います。
他人の顔色を窺う前に、自分の本音や欲求を気にかけてみてください。

自分が最愛の人から言ってほしいこと、してほしいことを
自分に対して、今すぐ、全部してあげてください。
実際にできないことは、頭の中のイメージだけでもいいです。
妄想と現実の境目がなくなるぐらいリアルに妄想してヘラヘラして(笑)、
そのイメージで、うっとり楽しくなってください。
そういうのが大事なんです。

そして「いつかやりたい」と思っていたことを
一つ残らず本気でリストアップして、
そのリストに挙げた項目を全部制覇するぞフハハハ!的な勢いで
それらにトライしていってください。
いつかではなく、今ハッピーになるんです。
いつか、そのうち、またね、なんて先延ばしにしている人の心は
ストレスがたまって、火がついたように泣き出す寸前の子供と一緒です。
だから、いつか、なんて言わないで、今すぐやってください。

自分がずーっと人からしてほしいなあと思っていたことを、
思う存分、自分にしてあげる。
自分がやりたかったことを、自分の心の中のクレーマー(笑)が
ぶうぶう文句を言って止めるのも華麗に聞き流して、
片っ端からやりたいようにやってみる。

そのうちに「自分で自分の楽しさや幸せを生み出せるんだ!」と気づいたら、
人を許すとか、許さないとか、どうでもいい話だったな〜と思えてきますから。
最終的には、自分も他人もヘラヘラと許せるようになりますよ^^


「ウール着物きた」

そっか、そっか(笑)よかったです。着てみて、楽しかったですか?
私もよく着ます^^楽しいですよね。
これからも機会をつくって、じゃんじゃん着てみてください。


「第2師団を応援するぞ」

私も応援しています^^
いろんな応援の仕方がありますよね。
自分にできる応援を続けていきましょう。お互い頑張りましょうね。


「剣道少年が喜ぶ贈り物」

頭に巻ける、似合いそうなかっこいい手ぬぐいをあげたら
喜んでくれるかもしれません。
手ぬぐいは消耗品ですし、枚数があっても困らないでしょう。

私のつくった「護国手ぬぐい」は、長さ100cmありましたが、
頭に巻きやすいサイズだということで剣道関係の方々からも
喜んでいただけていたようです。
ですので、サイズや色、デザインなどに気をつけながら探してみて、
その少年にぴったり来そうな手ぬぐいを贈ってあげるのはお薦めですよ^^


「鉄瓶でお茶飲んでます」

私も飲んでます^^
最近は、鉄瓶で沸かしたお湯を白湯として飲むのが個人的ブームです。
ステンレスのやかんで沸かした白湯よりも、なんとなく甘い気がします。

あと、鉄瓶の急須を持っているので、それでお茶を淹れています。
紅茶も緑茶も健康茶も、何でも成分濃い目(笑)においしく淹れられるので
大変重宝しております。
鉄瓶生活が身に付いたら、もうほかのものには移行できませんよね〜^^


ということで、検索ワードを見ながら
書きたいことを書きたいように、書き散らしてみました^^
ではでは皆様、どうぞよい週末をお過ごしください♪




2016年01月29日

薬師丸ひろ子さんの歌が好き

はぁ〜い♪ごきげんよう、皆様!
いかがお過ごしでしょうか?

私は、古事記の第2回の解説記事のめどがつきまして
大いなる達成感を満喫しております\(^o^)/
来月中旬の更新までには、もうちょっとブラッシュアップして
よりよいものをお目に掛けたいなあと思っております♪

さて、このところずっと「古事記」「古事記」と
我ながらうるさかったので(笑)今日はまた違う話をしてみますね〜。
薬師丸ひろ子さんの歌についてです♪

薬師丸ひろ子さんの歌って素晴らしいんだなあ、と気づいたのは
「あまちゃん」のこのシーンを見た時でした。



「ジョニーに伝えて/千円返して」っていうところは
何回聴いてもひどい歌詞だと思うけどw
それでも嫌いじゃないです^^

薬師丸さんの歌声をもっと聴きたいと思って、
昔のアルバムを手に入れて聞いたりもしたのですが、
昔の薬師丸さんの歌い方は、私にはあまり響いてきませんでした。
声はとっても澄んでいてきれいだったのですが
聞いていても心がなぜか、あまり高揚しないのです。

少女時代や20代のころの薬師丸さんよりも、
成熟した大人になってからの薬師丸さんの歌の方が、
ずっと気持ちが高まる気がするのは、私だけでしょうか。
表現力や、声の響きが本当に豊かだなあと感じます。


私が薬師丸さんの曲の中で、一番好きなのは、この曲です。



来生えつこさん作詞、来生たかおさん作曲による、
ゴールデンコンビの作品ですね。

曲自体が本当に素晴らしいので(この曲名はさておき)、
少女時代の歌を、大人になった今の薬師丸さんが歌っても
違和感がなくてドラマチックに感じられます。


それからこちらは、松本隆さん作詞、ユーミン作曲の
あまりにも有名な曲です。



艶やかですなぁ…大人の色気ですなぁ…

そして「歌唱力のある大女優の歌」という感じで、
とても華やかで表現力に溢れていて、素晴らしいステージです。
どこを切り取っても絵になりますよねー*^^*

内容的には悲しいような歌でも、薬師丸さんが歌うと
そこはかとなく温かみと深みがにじみ出て、
心おだやかに聴いていられます。
本当にステキ。薬師丸さんのことが大好きです。


そして、こちらの曲は、冒頭のご挨拶では薬師丸さんは
上品で愛嬌があって、とっても可愛らしいのですが
歌い始めると、涼しげで色っぽい表情になられて、
そういう変貌ぶりにも魅せられます。




好きだ!薬師丸さん!!

ああ、歌と言えば、
今年の9月に東京にオペラを見に行こうと思っているのですが
もし一緒に行きたい人がいらしたら、手を挙げてくださ〜い。
私は、9月11日(日)/17日(土)のキャストで見ようと考えています。
親愛なる歌姫様が出られる舞台なので*^^*

2月いっぱいぐらいまでに、この記事のコメント欄で
お名前とメールアドレスをご記入の上、参加表明してくださいませ♪
(参加表明のコメントは非公開で、ブログ主だけが見て処理します)
日程の調整などはその後、ということで。

は〜!今日もいろいろ楽しく書いたなぁ!
よーし、日本酒の氷割りを飲んで、ふにゃふにゃに酔っ払ってから寝よう!!
それでは皆様、おやすみなさい☆





posted by はなうた at 23:45| Comment(0) | 日本の美しさ・日本人の可愛さ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月24日

藍の絣の着物のコーディネート2つ♪の巻

皆様ごきげんよう\(ΘДΘ)/
今週末、いかがお過ごしでしたか?

最近私は、頭の中が古事記のことでいっぱいだったので
ちょっとリセット&リフレッシュしたくなり、
久々に着物について取り上げることにしました^^

ということで、早速行ってみましょうか!
今日のテーマは、藍の絣のコーディネートです!

まずは、着物単体のご紹介から。
こういうものです。じゃじゃん♪

IMG_20160124_154725_R.jpg

これは5年ぐらい前に、ヤフオクで買った藍染の真綿紬です。
きりっと濃い藍色に、素朴で愛らしい格子の絣であります。
真綿紬は、手触りが「ツルツル」ではなく「フワッ」としていて、
ほっこりとした温かみが特長的な着物なんですよ〜。

近くで見ると、こんな感じですのよ奥様。

DSC_0545_R.JPG

こういう、伝統的で素朴な色柄のものを
自分のような地味で素朴な顔の者が着ると
いかにも「こけし」のようになってしまってよくないかなぁ…
と、一時期はかなり気後れしていました。

しかしながら、最近では
「こけしのような顔の者がこけしのような恰好をして
一体何がいけないって言うんでいっ(手鼻)」
というモードに切り替わったので、
お気に入りのワードローブとして
堂々と活用するようになりました。

では、さっそくコーディネートしてみましょうか!
まずは、パステルオレンジの帯との組み合わせです。じゃじゃん☆

IMG_20160124_135545_R.jpg

濃い色の絣の着物=田舎っぽい、組み合わせが難しい、
と思い込んでいましたが、
淡く明るい色調のパールっぽい帯と組み合わせると、
濃い色の絣の着物はモダンで可愛い印象になる!
今日のお昼頃に気づきました(∩´∀`)∩

帯周りを拡大しまぁす☆

IMG_20160124_133757_R.jpg

帯は、横段でオレンジのさまざまな色が表現されていまして、
右端には織りで細く繊細に、唐草のような模様が入っています。

帯揚は退紅色です。帯のオレンジ色と少し似ているけれど、
帯よりもややピンク寄りの色をもってきて、あっさりとまとめました。

帯締めは、たぶん優佳良織です。帯も帯揚も大人しめなので、
帯締めは着物と拮抗するぐらいインパクトのあるものがいいな!
と思って、ばーん♪と締めました。

帯周りだけ見ると華やかなコーディネートですが、
なんといっても着物の色が凛々しくてマニッシュなので、
幅広い年代の女性に似合う組み合わせだと思います。


それから、この着物でのコーディネートをもう1つ。
こちらです。じゃじゃん♪

IMG_20160124_132317_R.jpg

爽やかですやろ〜(´▽`*)

このペパーミントグリーンの帯は、
リサイクルショップで2000円ぐらいで見つけたのですが、
ふだんよく着る淡色系の着物に締めるとどうも浮いてしまって
「難しいなあ」と思っていたものでした。

しかしある日、試しに濃い色の織りの着物に乗せてみると
とてもよく映えることに気づきまして!
それ以来、こういうインパクトのある織りの着物と
組み合わせては楽しんでいます^^

帯周りは、こんな感じになっています。

IMG_20160124_134101_R.jpg

紗綾形の地紋が入った帯で、愛らしい中にも何となく品格があります。
帯の中の文様も、早春のワラビみたいで、みずみずしく可愛いですね。

着物の色も帯の色もなんとなくマニッシュなので、
帯揚は海老茶色を持ってきましたら
凛とした女性らしさが加わりました^^

帯締めは、明るく軽やかな黄色〜白のグラデーションで、丸組です。

私の中のイメージでは、
上のオレンジの帯のコーディネートは浅田真央ちゃん、
下のペパーミントグリーンの帯のコーディネートは高梨沙羅ちゃんが
着たら似合うんじゃないかなあと思っています*^^*

そんな風に、「これは真央ちゃん」「こっちは沙羅ちゃん」と考えて
一人でウフフと楽しくなっていたわけですが(笑)そんなときにふと
「ああ、私のやっているこういうことって、結局、
子供の頃好きだった、リカちゃん人形の着せ替え遊びの延長なんだな〜」
と気づきました。

着せ替え遊びでは、リカちゃん人形の服自体そんなに持ってませんでしたし、
もちろんリカちゃんの服はすべて洋服でした。

それでも、着ている服が変わるたびに、
リカちゃんの雰囲気が変わるのを見ては心ときめいていまして、
そういう遊びが、本当に好きで楽しかったなあ…と思い出したのです。

世の中にはたくさんの仕事があるけれど、
その中で自分自身が「これが好きだ!」と思って
長時間でも平気で取り組めるようなことは、意外と限られているものです。

自分が好きで心から打ち込める仕事を、
恥ずかしがったり無視したりしないで、
誰よりも自分自身のために思いきり打ち込むことには意味があるなあ!
と、一人ますます盛り上がっていたのでしたw


さて、最後になりますが今日のおまけ。

着物をお召しになる皆様は、
帯揚や帯締めの収納はどうなさっていますか?

私は長年、着物小物の整理に思い悩んでいたのですが、
最近やっと納得のいく収納方法を見つけました\(^o^)/
参考までにご紹介いたします♪

まず、帯揚の収納はこんな感じ!
100均にある、A4サイズの書類用トレイに並べて入れています。

IMG_20160124_134852_R.jpg

ちょっとふにゃっとなっていますが、
帯揚はもともと柔らかいものなので
あんまり気にしてませんw

ただ、色の順番は気にしています。
手前に行くほど淡色に、奥に行くほど濃色に。
取り出して見るたびに「虹みたいでキレイだな〜(*´ω`)」
とうっとりできるように。

自分の脳内にハッピーホルモン(どんなだよw)が出るような、
自分にとって嬉しい収納を心がけているのであります☆

そして、帯締めはこんな感じですよ。

IMG_20160124_132353_R.jpg

同じく、100均の小物入れに、
100均のヘアゴム(1袋に複数個入っているもの)でまとめて
1つのケースの中に2段重ねになるようにして入れています。
こちらも、色合いがグラデーションになるように収納しています♪

真ん中の帯締めの房がぼさぼさなのが恥ずかしい(´Д⊂)けど、
撮り直すほどのこともないので
もうこのまま載せちゃいます\(^o^)/w


ちなみに、100均で小物類を買うときには
基本的には日本製品。もしも日本製のものがなければ、
なるべく親日国製のものを探して買うようにしています。
自分の大事なお金は、賢く有効に使いたいので(´▽`*)


以上、着物のコーディネートや小物の収納方法などについて
お話しました。
また新しいコーディネートを思いついたら、着物の記事を更新しまーす。


posted by はなうた at 21:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月22日

先日読んだマンガの中の素敵な詩



「ずいぶん広い場所で

 君と待ち合わせしてしまった

 時間も決めてない

 だいたい顔も知らない

 まるで雲をつかむような話

 でも僕は 

 流れ星をつかむような確率で

 僕は君をつかまえる」


何日もずっと心に残った詩だったので、
しみじみいとおしく思い出しながらメモ。



posted by はなうた at 23:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする