2015年12月03日

適切な歴史教育により、「北海道人」や「日本人」としての根っこを得た子供達の感想文(前編)

本日は、私の愛読している書籍「旭川屯田100年史」から
屯田兵の歴史を学んだ子供達の感想文をご紹介します♪

今回は前編として、小学生の感想文を転載します。
そして次回は後編として、中学生の感想文をご紹介する予定です。

「地元の歴史」や「自分の先祖の歩み」という
教わるべきことを教わった子供達が、
教わったこととをどのように吸収・消化して成長していくものなのか、
皆様に少しでもイメージしていただけましたら幸いです。

なお、ご紹介を始める前に、2〜3点補足説明をしておきます^^

1)太字部分などの強調効果は、ブログ主によるものです。
2)作文を書いた子供達の名前は、○○などと伏せてあります。
3)本書が発行されたのは、平成3年8月14日です。
  作文に明記された学年は、その当時のものとしてお読みください。


本日の書籍
『旭川屯田100年史』
 編集 旭川屯田会
     100年史編集委員会
 出版 須田出版

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「屯田兵の苦労」
   旭川小学校4年 ○○ ○○

各府県から、北海道開拓の夢をもって、
屯田兵として海をわたってきた人々、
国からの配給品を受け取りに行くにも道がなく、
そのうえ何10キロもはなれているところを
歩いていったそうです。
今の私たちの生活からは想ぞうもつかないほど
大変なことだったのでしょう。

そして、屯田兵の人たちに与えられた
兵屋とよばれた家は、大きさ・横はばが
9メートル、おくゆきが6.3メートル、
四畳半と六畳のたたみの部屋が2つ、
それに板の間があってそこには、
たて90センチメートルと150センチメートルの
炉がついているだけで、家の半分は土間という
土のままの床で、その部分は、天井もなく、
かべは板1枚、屋根はまさという、うすい板をかさねて
だんだんにはってあっただけだったそうです。

屯田兵の人たちは旭川よりあたたかい土地の人たちなのに、
炉だけでどんなにかさむかった事でしょう。

食べるものもあまりなくて、大変だったそうです。
それでも一生けん命がんばって、その仕事を
やりとげたことは本当に強い人たちだったと思います。

私たちの旭川小学校が、はじめにあった場所は、
”屯田公園”としてみんなに使われています。
屯田兵の人たちのように、私たちも夢をもって
きれいで住みやすい町東旭川になるよう
がんばりたいと思います。


むかしの生活
   旭川小4年 ○○ ○○

私はむかしから旭川に住んでいるおばあちゃんに、
むかしの生活のお話を聞かせてもらいました。

屯田に入る時は、なにも食べるものがなかったので
1年分の食料をもたせられたそうです。


森林地帯で木を切りたおし、畑、水田を作る。
これは、私たちの教科書の、「あさひかわ」にも
しゃしんでのっています。
持たせられた、オノやノコギリは、ほとんど使えきれず
大変苦労したそうです。

私のひいおじいちゃんが7歳の時、親といっしょに
入(にゅう)しょくしました。電気はなく、小屋にランプをつけて、
くらしていたそうです。食料はしお漬けの魚や漬け物です。
お水は共同井戸でした。何キロもはなれた井戸まで
毎日水をくみに行ったそうです。

初めは、アワやヒエを作りました。
冬は、ふとんにしもばしらが立ちました。
だんぼうはいろりです。
屯田に入った時は何人もの人が寒さのため、
こごえ死んでしまったそうです。

おばあちゃんが子供のころ水田は、
今とちがってじかまきでした。
水田にはところどころに木のかぶがのこっていました。
さとうがないので、ビートを植え、それをにつめて、
さとうを作りました。メンヨウを飼い、毛をかりとって
毛糸をつむいで、セーターをあんでいたそうです。

このお話を聞いて私は思いました。
ふとんにしもばしらが立つなんてびっくりしました。
それに、何キロもはなれた、井戸まで毎日歩いて、
水くみをするなんて大変だったろうなあと思いました。


東旭川の昔と今の生活
   旭川小学校5年 ○○ ○○

私のおじいちゃんは60代、おばあちゃんは50代です。
おじいちゃんおばあちゃんに昔の生活や、又は、
東旭川の様子を聞きました。

おじいちゃんの言うには、昔の事を思い出すと、
「よくやってきたなぁ」と言っていました。
おじいちゃんの時代には、この東旭川も
ほとんど開けていたそうです。

今の本町の道路には、旭山まで電車が走っていたそうです。
それでも、じゃり道で道路は今の半分ぐらいのせまい道路で
車などはなくて、歩く人と自転車ぐらいだったようです。

食べ物にしても、毎日の生活にしても丸っきりちがっていて、
3度の食事は少しの米にダイコン、イモ、カボチャなどを入れて、
おなかをふくらませていたそうです。
おやつは、バレイショやカボチャのゆでたものでした。
今は、お金を出してチョコレートのおやつです。
仕事にしても今は、きかいで何時間かで終わるけれど、
昔の時代では、人の手でやって、又は馬などで
田畑の仕事を朝早くから夜おそくまでしていたそうです。

春のかいこん時などには、くつも手ぶくろもなくて、
うす氷のはっている中をはだしで入って
田植えしたころもあったそうです。
あまりの冷たさに、何回も何回もアゼの上にあがって
足をあたためながら、仕事をしたそうです。
家の中も今はあたたかく出来ているけれど、
昔は、ねていても朝おきて見ると、ふとんのえりがしばれていて、
まっ白になっていて家の中もさむかったようです。

買い物に行くにも、今はどこまでも車で行くけど昔は、
車などはなくて3里も4里も歩いていったそうです。
本当に昔の人は大変だった事があるような気がしました。
でも、おじいちゃんの前のおじいちゃんやおばあちゃんたちは、
まだ苦労だったそうです。

今の東旭川もこんなに開けたのも、
むかしのおじいちゃんおばあちゃんたちが木をたおし
一くわ一くわ手でおこしていたから今では、
こんなりっぱなきれいな東旭川が私たちは見られるのです。
これからも、本当に私たちは、むかしのおじいちゃん
おばあちゃんのことを思って東旭川という町を大切に、
きれいな町にして行こうと思います。


東旭川の過去、現在、未来
   旭川小学校6年 ○○ ○○

ぼくのひいおじいちゃんは、
屯田兵がこの東旭川に入ってから、

村のかじ屋として四国からやってきました。
それから数えて、ぼくは、4代目です。
その間には、すごい年月がたっています。

かじ屋をやり始めたのは、屯田兵の人が入ってきて開拓してから、
こちらにきたので、屯田兵の人はすごい苦労をしているんだなぁ
と思いました。

屯田兵の人たちが入ってきた時には、まだここらへんは
ジャングル地帯だったので、木を切るにも、草をかるにも、
大変な苦労をしていたと思うし、開拓をしながら、
国を守るために、毎日練兵場でくれんしていた男の人が
いなくても、女の人やお年よりの方が、力を合わせれば、
今のようにこんなきれいな所になるんだなぁと思います。
本当に屯田兵の方は苦労を重ねて開拓をしたそうです。

食べ物も、白いご飯などほんの少ししか、食べられないなんて、
こんなに苦労しているのに、かわいそうです。
一生けん命働いた人には、それなりのお米や、いもや
野菜などをあげるべきです。本当にこういうところでも
屯田兵の人は、たえぬいたようです。
大正、昭和初期の遊びで、男子は、べいごま、チャンバラごっこ、
めんこ、めんだまとだいたいこのようなもので、
女子の遊びは、おはじき、花いちもんね、お手玉、
せっせせっせなどです。

旭川が今まで開けるまでに、鉄道がストップして
夜にげする人もいたり、米はそだたなかったりしたそうです。
それに戦争時代には、「ほしがりません、勝つまでは」となって、
おかしも店から消えるようになり、物不足になり
大変な苦労をしたようです。
物不足では、えんぴつ、けしゴム……などほとんどが
おさがりだったそうです。
でも、今はなくなったら買うで、昔のように大事にはしていません。
ぼくもそうです。
でもこれからは、そういうむだ使いをやめたいと思います。

そして、ぼくは、一度だけでいいから、屯田兵の人たちが、

開拓しているのをみてみたいし、一度でいいから、昔の屯田兵の
家でねてみたりしたいです。
これからは、開拓当時の物や古い建て物をこわさずに、
大切に保存してほしいと思います。

******************************

いかがでしたか?
皆様は、どのようにお感じになられたでしょうか。

上の作文を書いた子供達は、
自分の血の繋がった直接の祖先を含めた
先人達の苦労や功績を知ったことで、皆一様に
心の中に先人達への感謝や尊敬の気持ちを
然と広げていったことが分かります。

さらには、自分のおかれた環境が
いかに恵まれているかということに気づき、
子供達は自分の幸せを実感できるようになります。

また、先人達の恩に報いたいという温かい気持ちから、
「大きくなったら、自分の手でこの町を
よりよくしていこう」という夢や目標が芽生えます。

何よりも大切なのは、
「こんなすごいことを成し遂げたご先祖様達の
血や思いを自分は受け継いでいるのだから、

自分にも、きっといろいろなことができるはず!」
という信念や誇りが子供達の中に生まれることです。
そしてそれは、決して消えることのない炎として
子供達の人生をあかあかと照らし続けていくのです。

なんとも素晴らしいことだと思いませんか?\(ΘДΘ)/
これこそが教育の大切さであり、面白さでもあるのです!!

もし、自分の町の子供達に対して、
周りの人を大切にし、よく学び、よく働き、
優しい心を持つ大人に育ってほしい…と思うのならば、
私は学校教育においてきちんとした郷土史を
みっちり教えてあげるのが一番だと思っています。

郷土愛は家族愛の延長線上にあるものですし、
郷土愛が健やかに育っていくことで
健全な愛国心も育まれていくはずだと私は考えています。

特に、上の作文を読めば明らかなように、
北海道の開拓者達がつくりあげてきた歴史には
子供達をこれほどまでに突き動かす
インスピレーションとパワーに満ちていると感じています。

北海道に限らず、どのご家庭でも、学校でも、地域でも、
自分達のご先祖様達の成し遂げてきたことについて
もっともっと注目が集まればいいなあ、と願っています。

みんなそれぞれで、できることをコツコツ頑張りましょうね^^v

ということとで、本日はここまで〜^▽^
後半へ続きます!!

posted by はなうた at 20:15| Comment(1) | 北海道の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
毎回素敵な記事を有難うございます!
私たちの祖先である屯田兵については、日本史の授業でワードだけ登場した記憶がありましたが、詳しく掘り下げて教わる事なく大人になってしまいました。
はなうた様が仰る通り、その土地その土地の郷土史を学ぶ事は、ご先祖様の苦労があってこその今の暮らしに感謝する素晴らしいきっかけになると思いますし、その事が故郷を大切に思い、守ろうと思う気概になると思いました。
私の祖父母からは残念ながら昔の話を聞く事が難しくなってしまった今、はなうた様から北海道の郷土史を教えて頂けてとても感謝しています。
私が完全な保守に目覚めた頃が一年半位前になりますが、それまでは朝のパン食がお決まりだった私が、その頃からご飯が以前より増して美味しくて仕方がなくなり、朝はお米派になったのは、日本の良さを再確認したからなのかな、と思いました。
お米はもちろん道産ゆめぴりかです!
はなうた様、そして屯田兵の皆様本当に有難うございます!!
Posted by あるも at 2015年12月07日 19:40
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