2013年08月15日

終戦の日に寄せて

昭和天皇の少年時代の写真です。
昭和天皇.jpg
大正元年、御年11歳で、
皇太子に即位されたときのものです。

昭和天皇が44歳の8月15日、終戦を迎えます。
そのときの玉音放送の現代語訳です。
http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/gyokuon.html

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【玉音放送 現代語訳】

私は深く世界の大勢と日本の現状について考え、
非常の手段によってこの事態を収拾しようと思い、
忠義で善良なあなた方臣民に告げる。 

私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連に対して
ポツダム宣言を受け入れることを通告せしめた。
そもそも日本国民の安全を確保し
世界の国々と共に栄えその喜びを共にすることは、
私の祖先から行ってきたことであって
私もそのように努めてきた。

先に、米国・英国二国に宣戦を布告したのも、
我が帝国の自立と東亜の安定を願ってのものであって、
他国の主権を侵害したり、
領土を侵犯したりするようなことは、
もちろん私の意志ではない。

しかしながら、戦闘状態はすでに四年を越え、
私の陸海将兵の勇敢な戦闘や、
私の官僚・公務員たちの勤勉なはたらき、
私の一億国民の努力、
それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、
戦争における状況はよくならず、
世界の情勢も我々には不利に働いている。

それだけではない。敵は、
新たに残虐な爆弾を使用して、
何の罪もない多くの非戦闘員を殺傷し、
その被害はまったく図り知れない。

それでもなお戦争を継続すれば、
最終的には日本民族の滅亡を招き、
そして人類文明も破壊することになってしまうだろう。

そのような事態になったとしたら、
私はどうしてわが子とも言える多くの国民を保ち、
先祖の霊に謝罪することができようか。
これこそが政府にポツダム宣言に
応じるようにさせた理由である。

私は日本とともに終始東亜の植民地解放に
協力した友好国
に対して、
遺憾の意を表さざるを得ない。
帝国臣民にして戦場で没し、職場で殉職し、
悲惨な最期を遂げた者、
またその遺族のことを考えると
体中が引き裂かれる思いがする。


さらに戦場で負傷し、戦禍にあい、
家や職場を失った者の厚生については、
私が深く心配するところである。

思うに、これから日本の受けるであろう苦難は、
大変なものになる。
国民たちの負けたくないという気持ちも私はよく知っている。
しかし、私はこれから耐え難いことを耐え、
忍び難いことを忍んで
将来のために平和を実現しようと思う。

私は、ここにこうして国体を守り、
忠義で善良なあなた方臣民の真心を信頼し、
そして、いつもあなた方臣民とともにある。

もし、感情的になって争い事をしたり、
同胞同士がいがみあって、
国家を混乱におちいらせて
世界から信用を失うようなことを私は強く懸念している。 

国を挙げて一つの家族のように団結し、
子孫ともども固く神国日本の不滅を信じ、
道は遠く責任は重大であることを自覚し、
総力を将来の建設のために傾け、
道義心と志操を固く持ち、
日本の栄光を再び輝かせるよう、
世界の動きに遅れないように努めなさい。

あなた方臣民は私の気持ちを理解しそのようにしてほしい。

天皇の署名と印璽
 昭和二十年八月十四日

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もう1枚画像をご紹介します。
特攻隊の少年たちの写真です。
知覧.jpg
この写真を撮影した翌日、彼らは出撃し
沖縄で散華しました。

葛藤や恐怖、悲しみをすべて抱えて苦しんで乗り越えて、
死をとうに覚悟した少年たちの笑顔です。

彼らのような人たちの頑張りによって、日本は、
アジアやアフリカから大きな評価を受けました。
日本はボロボロになりながらも、
確実に手にしたものがあったのです。


私たちはいまだ日本を取り戻す闘いの最中にいる。
最善を尽くして必ず勝つ。

終戦の日に寄せて。


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2013年07月15日

海の日の由来

こんにちは(*'▽')

今日は祝日、海の日ですね。

海の日といえば、以前は
7月20日とされていましたが
2003年の祝日法改正からは
第3月曜日に変更されました。

ところで、「海の日」の由来となったできごとを
皆さまはご存知でしょうか?

実は「海の日」は、明治天皇
深い関わりがあったのです^^

以下、こちらのサイトから関連記述を抜粋します。

海の日の由来、知っていますか?
http://www.meiseisha.com/katarogu/hinomaru/hata-bi.htm

++++++++++++
明治天皇は、旧来の陋習をやぶって、
次々に近代日本の改革を断行されました。
また、全国を巡幸されることも多くありました。

明治九年(1876)明治天皇は、
五十日をかけて東北地方を巡幸されましたが、
この時、はじめて船に乗船されました。

七月二十日は、青森から函館を経由して
横浜に到着された日です。

この日は、長く「海の記念日」と
呼ばれてきましたが、
平成七年の法改正で翌年より
「海の日」として祝日になりました。

日本は、四方を海に囲まれた海洋国家で、
海なくして日本の繁栄はありません。

海の恩恵に感謝し、さらに、
明治の国づくりに思いをいたし、
この日を迎えたいものです。
++++++++++++

祝日の由来や意味は、
なかなかテレビなどでは紹介されませんが、

  「そうか…『海の日』は、
  日本国を守り、育んできてくれた海と、
  明治天皇の国づくりへの情熱に
  感謝をささげる日だったんだ…」

という歴史認識を
大切にしたいなあと思いました。

そしてこういう歴史の話を、
家族や友人知人に伝えたり、

ほんの一瞬でもいいから
海や明治天皇に向けて
感謝のお祈りを捧げたいな、
とも思いました。

祝日ですもの。おめでたい旗日ですもの。

(旗日:国民の祝日のこと。
民家や企業の軒先に国旗を掲揚して
お祝いの気持ちを表すことから、
この呼び名が生まれました)

おまけ:旗日といえば、
私が思い出すのは、こちらの町です(*´▽`*)

風にたなびく日の丸の道 3軒に1軒が祝日に国旗を揚げる町
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130127/trd13012707010000-n1.htm
大阪府大阪市の東松原自治会の風景です^^

ということで、
今日という日が、よい祝日でありますように。

そして皆さま、どうぞ素敵な
海の日をお過ごしください(^人^)


posted by はなうた at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 皇室と日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月29日

昭和節にちなんで…

みどりの日、昭和の日、もとい
「昭和節」おめでとうございます(^-^)/[]

天皇陛下のご生誕日は、戦前までは
「天長節」と呼ばれ、
また、明治天皇のご生誕日は
「明治節」とされていたそうです。

クラシカルで素敵な呼び方ですよね^^。

昭和の日などという名称では
結局何の日かよく分からない感じがしますので、
私は今日という日を、昔の呼び方にならって
「昭和節」としてお祝いしたいと思います。

そして、昭和節のお祝いに
ピッタリな歌といえば…

やっぱり「君が代」ですよね(*´▽`)♪

本日、以下でご紹介する動画は、
おそらく日本一美しいと思われます
「君が代」の独唱です^^
とても有名な動画なので、
見たことのある方も多いと思いますが…

0分26秒ぐらいから、歌が始まります。

こんなにも美しく神聖な感じのする国歌は、
世界中のどこを探しても、「君が代」以外には
ないのではないでしょうか。ウットリ…( *´艸`)

さて……昭和天皇といえば
あんなエピソードこんなエピソードなど、
萌え伝説の宝庫とされる方ですが…^^

昭和天皇が、
お歌をたくさん詠まれていたことは
ご存知でしたしょうか。
たとえば、こちらは昭和天皇が70歳のとき、
今から33年前に詠まれたお歌(御製)です。

*******

よろこびもかなしみも民と共にして
年はすぎゆき
いまはななそぢ

*******

この御製の内容のとおり、
いつも国民と共にあられた方でした。

そのことがとてもよく分かるエピソードが
ねずさんの ひとりごと」で紹介されていましたので、
こちらの記事から抜粋して転載します(^人^)
(※適宜改行、太文字強調等を入れています)

***************

『マッカーサーを心服させた昭和天皇

(終戦時において)陛下に対する占領軍としての料理の仕方は、四つありました。

一つは東京裁判に引き出し、これを絞首刑にする。

一つは共産党をおだてあげ、人民裁判の名においてこれを血祭りにあげる。

三番目は、中国へ亡命させて中国で殺す。そうでなければ、二〇個師団の兵力に相当するかと怯えた彼らです。

また第四番目は、闇から闇へ、一服もることによって陛下を葬り去ることでありました。

いずれにしても、陛下は殺される運命にあったのです。
天皇は馬鹿か、気狂いか、偉大なる聖者か、いつでもつかまえられる。
かつては一万八〇〇〇人の近衛師団に守られたかもしれないが、今や全くの護衛を持たずして、二重橋の向こうにいる。…

陛下の割腹自刃の計画は、三度ありました。
貞明(皇太后)様は、(侍従に、)陛下から目を離さんように命じました。
じつに一番悩まれたのは、陛下でありましたでしょう。

九月二七日、陛下がただ一人の通訳を連れて、マッカーサーの前に立たれたことは、皆様方もよくご承知の通りであります。
ついに天皇をつかまえるべき時が来た。

マッカーサーは、二個師団の兵力の待機を命じました。
マッカーサーは、陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえて、ソファーから立とうともしなかった。

陛下は直立不動のままで、国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われました。

『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。
私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。
絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』


――弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか

――しかし陛下は続けました。
                                  
『しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、
食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。
温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』

天皇は、やれ軍閥が悪い、やれ財界が悪いと言う中で、一切の責任はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても…と淡々として申された。
このような態度を見せられたのは、われらが天皇ただ一人であったのです。

陛下は我々を裏切らなかった。

マッカーサーは驚いて、スクッと立ち上がり、今度は陛下を抱くようにして座らせました。
そして部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒーをさしあげるように」と。

マッカーサーは今度は一臣下のごとく、直立不動で陛下の前に立ち、
天皇とはこのようなものでありましたか!天皇とはこのようなものでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」と。

陛下は、再びスクッと立たれ、涙をポロポロと流し、

「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。
この私に何の望みがありましょうか。
重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と。


そののちマッカーサーは、陛下を玄関まで伴い、車の扉をあけ見送ったのです。その後、あわてて 階段を駆け上がったとか。

皆様方、日本は八〇〇〇万人と言いました。
どう計算しても八〇〇〇万はおらなかったでしょう。いかがです?
一億の民から朝鮮半島と台湾、樺太をはじめ、すべてを差し引いて、どうして八千万でしょうか。
じつは六六〇〇万人しかいなかったのです。
それをあえて、マッカーサーは、八〇〇〇万として食糧をごまかして取ってくれました。
つまりマッカーサーは、いわゆる、陛下のご人徳にふれたのです。
米国大統領からは、日本に一〇〇〇万の餓死者を出すべしと、マッカーサーに命令が来ておったのです。

ただ一言、マッカーサーは、『陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた』と言いました。

彼は陛下のために、食糧放出を八〇〇〇万人の計算で出してくれました。
それが後で、ばれてしまいます。
彼が解任された最大の理由はそれであったというのが、事の真相です。                         

『欧米が驚愕した天皇陛下と日本人(1)

『ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだからね
旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。
  
ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の小男ということを日本人に知らしめてやる必要がある。
神さまじゃなくて人間だ、ということをね。
  
それが生きた民主主義の教育というものだよ。』
  
昭和21年2月、昭和天皇が全国御巡幸を始められた時
占領軍総司令部の高官たちの間では、こんな会話が交わされた。

しかし、その結果は高官達の"期待"を裏切るものだった。
昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られた。
行程は3万3千キロ、総日数165日。
各地で数万の群衆にもみくちゃにされたが、石一つ投げられたことはなかった。


イギリスの新聞は次のように驚きを率直に述べた。

「日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、」
天皇の声望はほとんど衰えていない。
各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。
何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。

『欧米が驚愕した天皇陛下と日本人(2)

「イタリアのエマヌエレ国王は国外に追放され、長男が即位したが、わずか1ヶ月で廃位に追い込まれた。
それに対して、日本の国民は、まだ現人神という神話を信じているのだろうか?
欧米人の常識では理解できないことが起こっていた。

ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。
私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、
イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。

殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。

だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。
しかし、そんなことは聞かない。
だからすでにこの世におられないと思っていた。


ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。
天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。

しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、
国民を慰めておられる。陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、
無防備のままで巡っておられる。

平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、
厳重な守りがなされている。それでも暗殺される王様や大統領がある。

それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、
焼き払われた廃墟を巡る。国民を慰める。何という命知らずの大胆なやり方であろうか。

いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。                

しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。
こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、
これはどこにも見られないことである。


われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。

***************

こんな素晴らしい方をいただいた日本に生まれたことを、
私は、とても幸せなことだと思っています。

改めまして、祝!昭和節^▽^ /[]


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第10回
「1つずつ身につけよう、自然な英語の使い方」

以下のサイトから随時、ためになる情報をピックアップしていきます。
http://news.mynavi.jp/series/abunaieigo/menu.html

第10回は、以下のページより引用させていただき、
一部改変してご紹介します。
http://news.mynavi.jp/series/abunaieigo/010/index.html

【残念な出来事が起こった相手を
慰めたいときのアブナイ英語】

→It's so bad !

【こんな風に聞こえるかも】
→それは、カッコいいね!

【ネイティブが使う英語】
→That's too bad.

文法的には問題ないように見えても、
生きた英語では全然違う意味になるんですね…(汗)
「That's too bad.」には、「それは可哀相だったね」という
軽く慰める意味も含まれているので、
使いやすいフレーズのようです。
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posted by はなうた at 17:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 皇室と日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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