2015年05月10日

「大人と子供の会話」に見る、親しき中の大切な礼儀(尋常小学校教科書<大正世代> 国語 巻二 掲載)

こんばんは〜。
尋常小学校シリーズの国語編、
前回の記事の続きであります♪


***************************


三 キク ノ ハナ

IMG_20150419_124457.jpg

「オカアサン、 オカアサン ハ ドノハナ ガ
一バン オスキ デスカ。」

「オカアサン ハ アノ  シロイハナガ スキデス。
オマヘ ハ。」

「ワタクシ ハ アノ アカイ 大キナ ハナ ガ スキデス。」

「ソノ ツギ ハ。」

「ソノ ツギ ハ、アノ タクサン サイテ ヰル、
小サナ キイロイ キク デス。」

「アレ デス カ。アノ キク ハ オトウサン モ 
タイソウ オスキ デス。」

***************************

子供が母親に敬語を遣って話しています。

また母親は、子供との会話の中で
子供の父親(=自分の夫)に対して
さらに丁寧な敬語を遣い、
正しい敬語の遣い方をさりげなく子供に示しています

これもまた、なんとも奥ゆかしい光景だなあと思います。

私がここで皆様に申し上げたいのは、
「誰彼かまわず、敬語を遣いさえすれば
それでいいのだ!」ということではなく…(u u)

敬語が生みだされたそもそもの意味合いである
相手を敬い、大切にする気持ち
選ぶ言葉や声色や話す速度に含むことが大切であり、
実践できればさらに素敵だということです*^^*

そうはいっても、家族に対していまさら
敬語だの優しい言葉だのを遣うなんて、
気恥ずかしいと思われる方も多いかもしれません。
それでも私は、言葉を交わす機会が多いからこそ
家族間では言葉を大切にした方がよいと思っています。

たとえばですが、もしも、一家の父親と母親が
お互いの存在を貶めたり馬鹿にするような
酷い言葉を吐き続けていたとしたら…
子供は、そんな両親の様子を
記憶の中に強烈に焼き付けてしまいます。
そして、自らもそういった行為を
反射的に真似てしまうか、もしくは
親を嫌悪したり馬鹿にしたりするようになるでしょう。

それは、親にとっても子にとっても
悲しいことだと思うのです(・д・`○)

一方で、それとは逆に、親が分け隔てなく人を敬い、
思いやりを持って適切な言葉を使い、
挨拶もお礼もしっかりとできる人間であれば、
子供の内側では、親に対する尊敬の念が自然と育ちます。
また、子供は親の態度から社会性を学ぶことができますし、
まともな大人として成長していける可能性も
とても高くなります。

そういう感じで、いい加減に言葉を遣ってしまうのと
意志を持って大切に言葉を遣うのとでは
積み重なって出てくる結果が全く違ってくるでしょう^^


そして、いろいろな意見があるところだとは思いますが…
私がやっぱり一番よいものだなあと感じるのは
大人は大人らしく、子供は子供らしく、
男は男らしく、女は女らしく。

お父さんはお父さんらしく、
お母さんはお母さんらしく

それぞれが自分の分(ぶ)をわきまえることです。

大人は大人らしく、子供は子供らしく…
男は男らしく、女は女らしく…

そういうあり方は、人を型にはめるようでつまらない、
窮屈だ、時代錯誤だという主張もあるかもしれませんが
型や手本となるものがあるからこそ
人は己の状態を省みることができますし、
よりよい自分になるくべく己を磨くことができます。

また、そういった気づきのプロセスを蓄積することで人は
「本当の意味での自分の個性」
発展させ、伸ばしていけるのだと私は考えています。

そして、男らしさや女らしさなどといった
「○○らしさ」というあり方もまた、
私達が長い日本の歴史の中で
受け継いできた文化の現れです。
「○○らしさ」という洗練された文化があることに感謝して
自分を高めて磨く規範とすることは、
そんなに悪いことなのでしょうか?
むしろ、「男らしさ」や「女らしさ」というものをバカにしきって、
そこから完全に逸脱してしまっていた人達のことを考えたら
「ああはなりたくな(ry」と思うのですが、いかがでしょうかあせあせ(飛び散る汗)


遣う言葉を大切にして、受け継がれてきた文化を大切にして、
周りの人を大切にして、感謝の心で穏やかに生きていく。
そんな日本人になれたら一番いい、と私は思っています^^


posted by はなうた at 14:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 尋常小学校の国語を学ぼう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月22日

「子供のおままごと」に見る、丁寧で優しい言葉の効用(尋常小学校教科書<大正世代> 国語 巻二 掲載)

久しぶりのアップとなります、
「尋常小学校の国語を学ぼう」
シリーズの最新号であります^^

私の持っている尋常小学校の国語の教科書
(原版ではなく復刻版ですが)の中から、
「この題材は皆様と一緒に読みたいなあ」
と感銘を受けたものをピックアップして
少しずつご紹介しています。

戦前、日本の教育界の最高峰にいた人達が
どのような情熱を燃やしていたのか、
当時の教科書を探ることで
垣間見えてくるのでは…と思っているのです^^

今回の記事も前回同様、現代仮名遣いの表記や
注釈は入れずに、原文と挿絵のみでお送りします。
旧仮名遣いの柔らかい語感と、
カタカナ表記のクラシックな味わいを
どうぞお楽しみください^^♪


***************************

二 オキヤクアソビ

オハナ ト オチヨ ガ 
オキヤクアソビ ヲ シテ ヰマス。

オチヨ ガ オキヤク ニ ナツテ キマシタ。

IMG_20150419_124642.jpg

「ゴメン クダサイ。」

「オチヨ サン デス カ、ヨク イラツシヤイマシタ。」

オハナ ハ オチヨ ヲ ザシキ ヘ トホシテ、
オチヤ ト オクワシ ヲ ダシマシタ。

IMG_20150419_124552.jpg


「ドウゾ オアガリ クダサイ。」

「アリガタウ ゴザイマス。」

***************************

小さな子ども同士なのに、ご挨拶からお礼まで
とてもきちんとした言葉で会話しています。

幼い女の子達が、こんな綺麗な言葉を遣って
真剣に、熱心におままごとをしていたら…
想像するだけでも愛らしく、心和む光景ですね^^
そして、普通の子供同士のやり取りのはずですのに
なんというか、とても「うるわしい」感じもします。

丁寧で優しい言葉遣いは、それだけで
人の心をほっと和ませるものですね*^^*

テレビやラジオや雑誌の中では、
「くだけた」というレベルをとうに通り越した
「こわれた」日本語を遣う人がたくさん登場しますが
私達は、あの人達の真似をする必要はないのです。

美しい日本の言葉を愛する者の一人としましては
できるだけ丁寧で優しい言葉を遣いたいですし、
丁寧で優しい言葉遣いを「良いなあかわいい」と感じる心を
ずっと大切にしていきたいと思っております(ΘДΘ)/♪


ちなみに、この尋常小学校の教科書の制作時期からは
やや下がりますが、昭和初期(戦前)の日本を撮影した
貴重なカラーフィルムがあるのをご存知でしょうか。
Youtubeで、そのフィルムの内容を見ることができます。





尋常小学校の教科書の女の子達とも重なるような
たおやかでうるわしき日本女性の様子が
たっぷりと映し出されています。
参考までに、ぜひご覧ください^^


そして本日の最後となりますが、
尋常小学校の教科書に載っていた
小さな詩を一遍、載せておきます。
調べてみたところ、これは尋常小学校唱歌の一つで
「菊の花」という歌の歌詞のようです。


***************************


ミゴトニ サイタ
カキネ ノ コギク、
一ツ トリタイ、
キイロナ ハナ ヲ、
ヘイタイアソビ ノ クンシヤウ ニ。」

ミゴトニ サイタ
カキネ ノ コギク、
一ツ トリタイ、
マツシロナ ハナ ヲ、
ママゴトアソビ ノ ゴチソウ ニ。」

***************************

垣根に咲いている黄色い小菊を、
兵隊遊びの勲章にする…

この歌は、今まで聞いたことはありませんでしたし
そういった遊びをしたこともありませんでしたが
歌の中の光景をイメージしたときに、
どことなく懐かしい気がしたのはなぜでしょうか。
そして、そんな風に感じるのは私だけでしょうか?^^

「日本」の意識の中に蓄えられてきた思い出の数々が、
こういう詩やお話や絵を通して
自分の中に甦るような気がするのは、
なんとも不思議なことであると同時に
とても嬉しく、楽しいことであります。



posted by はなうた at 20:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 尋常小学校の国語を学ぼう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月05日

「兄妹の会話」に見る、敬語の美しさと日本語の魅力(尋常小学校教科書<大正世代> 国語 巻一 掲載)

尋常小学校シリーズ、今回で2回目です^^

今回の記事では、兄と妹の、
さりげなくも美しい会話を
ご紹介します^^

それでは早速、はじまり、はじまり〜。

(今回は、現代仮名遣いの表記や
注釈などは入れずに、
原文と挿絵のみでお送りします。
旧仮名遣いの柔らかさと
カタカナ表記のクラシックな味わいを
お楽しみください♪)

*************************

DSC_0601_R.jpg

オハナ ガ エンピツデ 

アサガホ ヲ カキマシタ。

ナンベン モ カキナオシテ、

ニイサン ニ ミセマシタ。

「ニイサン、ミテ クダサイ。」

DSC_0602_R.jpg


「ヨク デキマシタ。

ハナ ハ ソレ デ ヨイカラ、

ハ ヲ チイサクシテ、

モウ 一ペン カイテ ゴラン ナサイ。」


DSC_0603_R.jpg

ユフガタ ニ ナリマシタ。

オチヨ サン ノ ウチ デハ、

オザシキ ニ アカリ ガ 

ツイテ ヰマス。

DSC_0604_R.jpg

ハヤク カエラナイ ト、

オジイサン ヤ オバアサン ガ 

シンパイ ナサイマス。

DSC_0605_R.jpg

一バンボシ ミツケタ。

アレ アノ モリ ノ

スギ ノ キ ノ ウヘ ニ。

DSC_0606_R.jpg

二バンボシ ミツケタ。

アレ アノ ドテ ノ

ヤナギ ノ キ ノ ウヘニ。

DSC_0607_R.jpg

三バンボシ ミツケタ。

アレ アノ ヤマ ノ 

マツ ノ キ ノ ウヘニ。

*************************

このお話を読んで
まず、びっくりしたのが、
一般的な家庭での兄妹の間柄でも
敬語を使って話していることです。

この現代では、家の中で敬語を使うどころか
「お父さん」「お母さん」「お兄さん」
「お姉さん」「おじいさん」「おばあさん」
と呼ぶ習慣すらない家庭、
また親子や兄妹などの上下のけじめをつけずに
お互いに名前で呼び合う家庭もあります。

この時代には、そういう風潮が入ってきているのだ…と
うっすらと悲しく、淋しく思っていたところでしたが
今回このお話に触れて

 「私は、現代に蔓延している
 乱暴でルーズな感じの会話ではなく、
 このお話に出てくる兄妹みたいな、
 
思いやりと節度のある
 古き良き感じの会話が好きなんだなぁ」

と、自分の中の思いを確認できました(*´ω`*)

(ちなみに、昔の映画やホームドラマを見ていると
家族の間でも、とてもきちんとした発声で
適切な敬語を使っているので
気持ちよく見ていられるんですよね^^
今のように言葉が乱れに乱れてきたのは、
ここ数十年のことだと思います)

ただ、そうは言われても、
家族の間柄で敬語を使うなんて
なんだか不自然に思えるし、仰々しいみたい…と
感じる方もいるかもしれません。

そんな方に、たとえばこちらの動画を
見ていただきたいのです。

【眞子様「うみへびがいるよね、おとうさま」】


秋篠宮眞子内親王のお小さいときと、
まだとてもお若い秋篠宮文仁親王の動画です。
とても素敵な、親子のやり取りを聞くことができます。

皇族の方だから、という先入観を
極力抜きにしてこの動画を眺めていれば、
親子の間柄で敬語で会話しても
まったく不自然ではないことが分かります。
むしろ「見習いたい、真似させていただきたい!\(^o^)/」
と思うような、微笑ましく魅力的なやり取りです。

それから、もう一本の動画をご紹介します。

【天皇皇后両陛下のご日常】


こちらは、30分程度とやや長めの動画で、
これまたすばらしい内容ですが…中でも、

・両陛下が皇居の池の周辺を散策されているシーン
(0分10秒〜1分10秒)

・両陛下が野蒜(のびる)を摘んでおられるシーン
(1分10秒〜2分25秒)

・両陛下が土筆(つくし)を摘んでおられるシーン
(28分00秒〜29分15秒)

上の3つの場面は、
お二人のお優しい会話の様子を伺うことができて
私としては特にオススメです(*´▽`*)

皇后陛下は、ご主人でもあらせられる
天皇陛下に
対して、
ゆったりと美しい敬語をお使いになっています。

一方で天皇陛下のお話ぶりも、
とても穏やかで柔らかいのですが
そうかといって、女性っぽさは感じられません。

むしろ、男性らしい落ち着きと包容力、
そして品格がお話ぶりからにじみ出ています。

両陛下が素敵な方々であらせられるのは
言うまでもないことですが、
お二人が優しい言葉で語り合うご様子が
お二人を一層魅力的に見せています。

家庭内で敬語を使う、ということを
自然に実践できたら、素敵ですよね^^

さて、それでは話を教科書に戻しまして、
兄妹の会話を詳しく見てまいりましょう(*´▽`*)

妹の「おはな」は、自分が描き上げた絵を
お兄さんに見てもらうときに
「兄さん、見てください」と
呼びかけた上で丁寧にお願いしています。

そしてお兄さんも、妹をぞんざいに扱うのではなく
「よくできました。」とまず努力したところを認め、
褒めた上で、
直すべきところを優しく指導します。

また、別のシーンでは、兄妹は外出中です。
家路を急ごうとして、お兄さんが妹に対して

 「早く家に帰らないと、
 おじいさんやおばあさんが
 心配なさいます」

と呼びかけています。
お兄さん、すばらしい…(*´▽`*)ノ

年端もいかないような子が、
家族に対してきちんと気を遣っている、
というだけではなく、
目上の家族に対して適切な敬語を
使えていることにも感動します。

美しい言葉を、優しい声で語り合うことは
それだけでお互いを幸せにできる
魔法のような行為だ…と私は思うのです*^^*。

日本語って美しいなあ、
響きが優しくて心地よいなあ、と
改めて思わずにはいられません。

丁寧に語られた日本語は、
余計な装飾をつけずとも、
それだけで美しく、印象深く響くものです。

シンプルで丁寧な日本語が美しいことは、
上のお話に出てくる、一番星を見つけて
教え合う兄妹の会話からも明らかです。

星を教え合う兄妹の会話は、
構成や言葉は至極単純なのに、
人の温かみや子供らしい純朴さ、
広大な自然、星々のきらめきなどが伝わってきて
まるで一篇の詩のようだ…と感じました。

こんな綺麗な言葉を、
身の周りにいる子供達に使ってもらうためには
まず私達大人が、率先してふだんから
お手本となるような会話をしていくことが
大事なのだと思います。

「そんな悪い言葉を遣っちゃダメ!」
と言っている親や大人が、
ふだんどんな言葉遣いをしているのか、
子供はじっと観察しています。
子供は、尊敬できる大人の言うことは聞きますし、
「この人みたいになりたい」と思えば、強制せずとも
言葉遣いだって立ち振る舞いだって
一生懸命まねて、学びとろうとします。
自分の言葉や立ち振る舞いは、
子供達が憧れて尊敬されるものになっているか…
客観的に見て、気を引き締めていくことが大切です。

子供達のためにも、自分自身のためにも、
美しい日本語を、優しい声で、
自然に、心地よく使いこなしていく…
そんな日本人でありたいものですね(*^▽^*)



posted by はなうた at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 尋常小学校の国語を学ぼう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月01日

「サルカニ合戦」に見る、神道の心と韻の粋(尋常小学校教科書<大正世代> 国語 巻一 掲載)

今日から4月です。
そして、平成26年度です\(^o^)/

今日この日から、
新しいことを始めようと思います^^。

私の好きな、尋常小学校の教材をひも解いて
日本のすばらしさや美しさ、
そして面白さを皆様と
分かち合っていこうと思います(*´▽`*)

戦前の時代には、優れた日本人があとから、
あとから輩出されたものでした。

それは何も、教科書に載るレベルの
有名人に限った話ではなく…

遊就館などで見られる若い戦士や

一般の人の手紙などからも、
当時の人達の立派さは
伝わってくるわけです。

「同じ日本人のはずなのに、
戦前の日本人と戦後の日本人は
まるで別人種みたいに思える…。

戦前の日本人が立派だった理由は
何なのだろう?」

と私は、ずっと考えていました。
いくつかの理由が有機的に絡み合って
今この状況に至っているとは思いますが、
とりあえず、自分なりに考えたのは…

「戦前、すぐれた教科書を使って
まっとうな教育が行われていたことが
立派な日本人が多く育った理由として
挙げられるのではないか?」


ということでした。

それで、去年の暮れごろから
戦前の教育に関心を持つようになり、
古本屋などで尋常小学校の教材を求めては
少しずつ読み進めてきました。

自分の目で見た尋常小学校の教科書は
想像以上に素晴らしく、
また為になるものでした。

詩のように美しい日本語で書かれ
全編を通して格調高く、
ときにユーモラスで
「自分もこんな教科書で勉強したかった」と
ため息の出るような内容でした。

今の子供達に読ませたいなあ、
と思ったのはもちろんですが、これは、
大事なことを教わらずに大きくなってしまった
私達大人の世代にもすすめたくなるくらい
質の高い教材だとも感じました。

勉強することは、いつからでも遅くはないはず。

といっても、ここでは大層なことをするわけではなく
尋常小学校の教材の内容をふり返って

「こんないい話があったんだね〜」

「機会があれば周りの人にも
教えたいなあ」

「自分の周りの子供達にも伝えたい」

と、各人が思ったり覚えたり感じたりできれば
それが一番いい、と考えています。

ということで!尋常小学校の教材の中から
私が特にご紹介したいと感じたものについて
これから少しずつシェアしていきます。

第一回は、

「尋常小学校教科書
(大正世代) 巻一」


より、サルカニ合戦のお話です。

これは誰でも知っている昔話ですが、
誰も想像しないような挿し絵の描き方と
スリリングな結末が印象に残る作品です( *´艸`)

それでは、サルカニ合戦の
はじまり、はじまり〜。

()内はブログ主の注釈、
【】内はブログ主の感想です。


*************************

サル ガ カキ ノ タネ ヲ
カニ ニ ヤリマシタ。
(猿が柿の種を蟹にやりました。)

カニ ガ ニシギメシ ヲ 
サル ニ ヤリマシタ。
(蟹が握り飯を猿にやりました。)

DSC_0597_R.jpg

【猿はともかく、蟹の描き方は特筆すべき擬人表現】



ハヤク メ ヲ ダセ、カキ ノ タネ。
(早く芽を出せ、柿の種。)

ダサヌ ト、 ハサミ デ ハサミキル。
(出さぬと、ハサミで挟み切る。)

DSC_0598_R.jpg

【蟹の妖怪が、あやしのまじないを唱え中】

メ ヲ ダシマシタ。
(芽を出しました。)

ハヤク キ ニ ナレ。
(早く木になれ。)

ナラヌ ト、 ハサミ デ ハサミキル。
(ならぬと、ハサミで挟み切る。)

DSC_0599_R1.jpg

【一体、どんな成分の液をかけているのか…】

キニナリマシタ。
(木になりました。)

ハヤクミガナレ。
ナラヌ ト、 ハサミ デ ハサミキル。
(早く実がなれ。
ならぬと、ハサミで挟み切る。)

DSC_0600_R.jpg

【実がなってしまった…!

ミ ガ ナリマシタ。
(実がなりました。)

サル ガ ミツケテ トリマシタ。
(猿が見つけて採りました。)

DSC_0604R.jpg

【優しそうな顔をした猿ですが、やることは残酷】

アヲイ ノ ヲ カニ ニ 
ナゲツケマシタ。
(青いのを蟹に投げつけました。)

DSC_0601_R1.jpg

こう見えても真面目で哀れな蟹さん】

カニ ガ シニマシタ。

(蟹が死にました。)

コガニ ガ ナイテ ヰマシタ。
(子蟹が泣いていました。)

ハチ ガ キテ、
ナク ワケ ヲ タヅネマシタ。
(蜂が来て、訳を尋ねました。

DSC_0601_R2.jpg

【衝撃、かつ究極の擬人化表現】

ハチ ガ キイテ オコリマシタ。
(蜂が聞いて怒りました。)

クリ モ キイテ オコリマシタ。
(栗も聞いて怒りました。)

ウス モ キイテ オコリマシタ。
(臼も聞いて怒りました。)

DSC_0602_R.jpg

「この蜂こそが、のちの仮面ライダーの原型である」
と言われても何の違和感もありません

カタキウチヲスルコトニナリマシタ。
(かたき討ちをすることになりました。)

クリガトビツキマシタ。
(栗が飛びつきました。)

サルガヤケドヲシマシタ。
(猿がやけどをしました。)

DSC_0603_R.jpg

【あのガタイのいい栗人間が、
どうやって猿に飛びついたのかは
あえて描かれていないのであります

サル ガ ミヅ ヲ ツケ ニ イキマス ト、
ハチ ガ チクリ ト サシマシタ。
(猿が水をつけに行きますと、
蜂がちくりと刺しました。)

サル ガ ニゲダシマシタ。
(猿が逃げ出しました。)

DSC_0605_R.jpg

【見てはいけないものを見てしまいましたネー】

ウス ガ オチテ キテ、
サル ヲ オシツケマシタ。
(臼が落ちて来て、猿を押し付けました。)

コガニ ガ サル ノ クビ ヲ ハサミキリマシタ。
(子蟹が猿の首を挟み切りました。)

DSC_0606_R.jpg

【上の絵は「子蟹が猿の首を挟み切りました。」
というホラー展開になる直前のシーンであります。

*************************


前半で多用されていた「挟み切る」という言葉の韻が
まさか、結末でこんな風に使われるとは…
なんとも粋なオチの付け方だと思いました。

また、この語りでは平易な言葉で
淡々と事実を並べているので
面白さも恐さも倍増しますね〜^^;

そして「他人に対して意地悪やズルをすると
おそろしい報いが返ってくる」という学びが
強烈な印象をもって焼き付きます。
やっぱり、古典の名作だなあと思います。


ところで当時の挿絵は、どうしてここまで
擬人化にこだわったのでしょう?


これは、あくまで私の憶測ですが…

当時の教育界の人達は、子供達に
「一寸の虫にも五分の魂」ということを
想像してほしかったのかもしれません。

単に、猿や蟹の話をしたいのであれば、
着物を着せたり人間の体をくっつけたりせずに
ただ猿や蟹の絵を描いてもよかったはずです。

「どんな小さな生き物にも、獣にも、
私達人間と同じ魂が宿っていて、
喜びも怒りも痛みも感じるのだ」
ということを、昔の教育界の人たちは
伝えたかったのかもしれません。


考えてみれば、
「どんなものにも魂が宿るから
大切に扱おう」という哲学は、
長い日本の歴史の中で受け継がれてきた
神道の考え方そのものです。

神道のエッセンスが凝縮した
こういう物語に触れながら成長できるなんて、
私達日本人は本当に恵まれていると思うのです。

嘘をついたり、人を欺いたりすることに対して
何の罪悪感も羞恥心も教えないお隣の国々に
こういう日本の昔話を輸出してはどうか…
などと一瞬、思ったりもしましたが…

日本人は、まずは自分自身と
自分の国・日本を建て直さないとね。
外国云々の話は、それからですね^^


次回は、短くて簡単な言葉で書かれた
美しい詩をご紹介します^^


posted by はなうた at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 尋常小学校の国語を学ぼう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする