2016年01月30日

気が向いたので、久々に当ブログの検索ワードを眺めてみました

皆様、ごきげんよう♪

昨日、久しぶりに当ブログの「検索ワード」を眺めたのですが
検索を利用された方のうち何名か、どう考えても
「検索ワード欄を簡易コメント欄的に利用しているのかも」
と思われる方々を発見しましたよ。たとえば、こんなワードです↓

「秋篠宮の眞子様は威厳があってかっこいいですね」

これはもはや検索ワードではなく、普通に感想文ですよね?(笑)

それはそれとして、私も眞子様はかっこいいなあと思います。
威厳と気品がありながら、可憐で女性らしさもあるんですよね。
奇跡のような存在です。

一方で佳子様は、春の花束のような華やかさと愛らしさがありながら
若武者のように凛々しく芯が感じられて、堂々としていらっしゃいます。
私は、佳子様の素敵さにも魅了されています^^
秋篠宮家の方々は本当に美しいなあ、と惚れ惚れと見とれています。


「許す心はどうやって作ればいいか?」

これは、「他人を許す心」ということでしょうかね?
そうだと仮定した上で、
私の個人的な意見を書いてみますよ(気が向いたので)!

他人のことなんか、どーでもいいんですよ。ホントに。
他人が自分に何をしたかなんて、結局些末なことなんですよ。
自分が自分をまるごと許して、慈しんで、愛せばそれでいいんですよ。

突き詰めた話、私達人間は、自分自身を許せなくて愛せないから、
そのきっかけを作った(と自分が思い込んでいる)他人を
許せなくて苦しんでしまうのではないでしょうか。

他人を変えようとしたところで、他人は変わらないですからね。
自分だって「この人、私のことを無理やり変えようとしている!」
と思ったら、ムカついて抵抗するでしょう(笑)誰だってそうです。
他人を変えようと思って奮闘するのはエネルギーのロスです。

ですから、もし本当に自分自身を楽にしたいのであれば、
他人ではなく、自分自身を見た方が話が早いんじゃないでしょうか。

私のオススメは、とりあえず「潜在意識 自愛」で検索してみること。
自分を許して受け容れるための興味深いメソッドや
面白い体験談がたくさん出てきますので、その中から
自分がピンと来たものにトライしてみてはいかがでしょうか。

自分が自分を許して、愛して、満たされるようになったら、
他人が何をしてこようが、次第に気にも留めなくなってきますし、
そもそも「自分を傷つける他人」の登場頻度が激減します。

そして、この言葉は、あまりよい意味では使われないのですが
「自分さえ良ければそれでいい」だと思います。
他人の顔色を窺う前に、自分の本音や欲求を気にかけてみてください。

自分が最愛の人から言ってほしいこと、してほしいことを
自分に対して、今すぐ、全部してあげてください。
実際にできないことは、頭の中のイメージだけでもいいです。
妄想と現実の境目がなくなるぐらいリアルに妄想してヘラヘラして(笑)、
そのイメージで、うっとり楽しくなってください。
そういうのが大事なんです。

そして「いつかやりたい」と思っていたことを
一つ残らず本気でリストアップして、
そのリストに挙げた項目を全部制覇するぞフハハハ!的な勢いで
それらにトライしていってください。
いつかではなく、今ハッピーになるんです。
いつか、そのうち、またね、なんて先延ばしにしている人の心は
ストレスがたまって、火がついたように泣き出す寸前の子供と一緒です。
だから、いつか、なんて言わないで、今すぐやってください。

自分がずーっと人からしてほしいなあと思っていたことを、
思う存分、自分にしてあげる。
自分がやりたかったことを、自分の心の中のクレーマー(笑)が
ぶうぶう文句を言って止めるのも華麗に聞き流して、
片っ端からやりたいようにやってみる。

そのうちに「自分で自分の楽しさや幸せを生み出せるんだ!」と気づいたら、
人を許すとか、許さないとか、どうでもいい話だったな〜と思えてきますから。
最終的には、自分も他人もヘラヘラと許せるようになりますよ^^


「ウール着物きた」

そっか、そっか(笑)よかったです。着てみて、楽しかったですか?
私もよく着ます^^楽しいですよね。
これからも機会をつくって、じゃんじゃん着てみてください。


「第2師団を応援するぞ」

私も応援しています^^
いろんな応援の仕方がありますよね。
自分にできる応援を続けていきましょう。お互い頑張りましょうね。


「剣道少年が喜ぶ贈り物」

頭に巻ける、似合いそうなかっこいい手ぬぐいをあげたら
喜んでくれるかもしれません。
手ぬぐいは消耗品ですし、枚数があっても困らないでしょう。

私のつくった「護国手ぬぐい」は、長さ100cmありましたが、
頭に巻きやすいサイズだということで剣道関係の方々からも
喜んでいただけていたようです。
ですので、サイズや色、デザインなどに気をつけながら探してみて、
その少年にぴったり来そうな手ぬぐいを贈ってあげるのはお薦めですよ^^


「鉄瓶でお茶飲んでます」

私も飲んでます^^
最近は、鉄瓶で沸かしたお湯を白湯として飲むのが個人的ブームです。
ステンレスのやかんで沸かした白湯よりも、なんとなく甘い気がします。

あと、鉄瓶の急須を持っているので、それでお茶を淹れています。
紅茶も緑茶も健康茶も、何でも成分濃い目(笑)においしく淹れられるので
大変重宝しております。
鉄瓶生活が身に付いたら、もうほかのものには移行できませんよね〜^^


ということで、検索ワードを見ながら
書きたいことを書きたいように、書き散らしてみました^^
ではでは皆様、どうぞよい週末をお過ごしください♪




2015年09月30日

「怒りと向き合い、人を許す」方法を実践してみた

はぁーい、皆様。ごきげんいかがですか?

我が家では、先日、このシーズンで初めて
ストーブを焚きました\(^o^)/サムイヨー
また、我が母なる山・大雪山の旭岳にも
先日初雪が降りましたし、
徐々に秋の気配が深まっているのを感じる今日この頃です。
思えば陽が沈む時間も、随分早くなりましたよね〜。


さて、先日「信じるべきものは自分の内側にある
という記事を書きましたが、ああいった記事を書くのが
自分的には、とても楽しくて充実していましたので
関連記事をまとめて、シリーズ化することにしました!
シリーズ名はずばり!

「コーヒーを飲みながら魂の磨き方について語ろう」

です。大好きな、このaaのイメージで
のんびり語っていこうと思います^^

しまむらくんとコーヒー.gif
ブログ主は、こういったテーマについて考えるのが
子供の頃から好きでした。もちろん、今でも好きです。

そしてこの広い世の中には、ブログ主と同じように

「魂って、どうやって磨けばいいのだろう?
とりあえず、この人生を生きている間に
できるだけピカピカにしておきたいなあ」

などと考えながら生きている人が、少なくとも
数人はいるでしょうから、その数人のうち
ご縁のあった1人にだけにでも読んでもらって
楽しんでもらえたらいいなあと考えました。

では、長い前置きはこのぐらいにして、例によって
コーヒーを飲みながら本日のお話を始めましょうか…^^

本日は「許す」ということをテーマにします♪

さてさて、多くの人の心の中には
その人だけのオリジナルな、スペシャルなデスノート(笑)
が存在していることと思います。そのデスノートに挙げ連ねたメンバー、
略して「デスメンバー」(笑)(笑)の顔を思い出すだけで

「ああっ、もう!あいつだけは絶対にユルさない!ぶっ頃(ry」

などと冊井が沸いてしまったりするものであります
(テーマが物騒ですので、敢えて誤字を使用していますm( )m)

かくいうブログ主の心の中にも、
それはもう真っ黒なデスノートが置いてありましたが
先日、いつものようにデスノートをぺらぺらとめくりながら
ふと、こんなことを考えました。

「私はこれから先もずーっと、
デスメンバーのことを思い出しては
『あいつ、まじで(ry』とか、思い出し怒りをするのかなあ。
そんな人生、嫌だなあ。想像しただけで疲れるし、
第一不毛だよねー。時間とエネルギーの無駄遣いというか…。

そもそも人って、許せないと思った人を許せるものなのかな?
私は、どうすればあの人達を許せるのだろう?
どうすれば、私の心は楽になるのだろう?」


そこで、我らがGoogle先生に話しかけて
人を許す方法について尋ねたわけです。
果たして、Google先生が用意してくれたいくつもの答えの中に、
ブログ主的に「これは…!」と思うものがありました。
それはインド生まれの、チョプラさんという人の考え方でした。

詳細は「チョプラ 許す」でググれば出てきますが、
ここではブログ主なりにチョプラさんの考え方を
解釈・要約したものをご紹介いたします。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

自分が他人をいつまでも許せないのは、
自分の心の中に「怒りの回路」ができてしまっているから。
心の中にせっかく新鮮なエネルギーが沸いてきても、
強固な「怒りの回路」がある間は、エネルギーは
どんどんその回路にはまり込んでは消費されてしまう。

怒りの回路を消して他人を許して楽になるためには、
自分の中に今までとは違う「新しい回路」を作ればよい。


 〜*〜*〜*新しい回路の作り方〜*〜*〜

1.自分がいまだに怒っていようが、傷ついていようが、
  それはそれとして脇に置いておいて
  「よし。許すことにしてみよう!」と決意する

2.「もし、心の中に新しい感情(いつもの怒りや悲しみ以外の)
  が湧いたら、その感情を認めよう」と決意する

3.新しい感情に気づいたら、それがどんな些細なものでもよいので
  「キタ──ヽ(゚∀゚)ノ──♪」と肯定的に受け止める

4.いつもの怒りや悲しみの感情が沸いてきたら、その都度

  「これは私ではない」
  「これは私の望むことではない」
  と冷静に否定する

5.いつもの怒りと悲しみの感情が消えるまで、
  3.と4.のプロセスを淡々と繰り返す

皮膚にできた切り傷は、自然治癒力によって治る。
人格者であろうが凡人であろうが、関係なく治っていく。
心にできた傷(=怒りの回路)の治り方も、似たようなもの。
自分で治そうと決心して、治癒の過程を邪魔せずに見守れば
人格者であろうが凡人であろうが、関係なく治っていく。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

ということだと思われます。

とりあえずブログ主は、自分のデスメンバーのうち5人
(結構多いw)を選んで、実験してみました。
その実験の中で、自分の中に沸いてきた新しい感情は

「今の自分には関係ない人だ」

「もはや縁の切れた人だ」


「その人からは学び終わった。今後関わるつもりはない」


といったもので、いずれも静かな感情でした。
(人によって、それぞれ独自の新しい感情が沸くと思います。
ブログ主の感情については、参考までに載せました(人))

「愛情の反対は無関心」とはよく言いますが、
「憎しみの反対も無関心」なのかもなあ、としみじみ思いました。

そして、この実験を繰り返していくうちに、
デスメンバーのことを考えて怒ったり、
不愉快なできごとを思い出して悲しくなったり、
「なぜあのとき…」と当時の自分を責めて苦しくなったり、
心が疲労しすぎてちょっとしたことにも敏感になる、という状況が
かなり変化してきました。
無駄だと分かっていながらも囚われていたことから解放されて、
心の中が大掃除をしたように明るく軽くなって、楽になりました。

「怒りや悲しみと向き合う」ということを、
ブログ主は、その当時の感情を何度も何度も
繰り返し味わうことだと勘違いしていました。
でも、そんなことをしなくてもよかったのです。
それは、できた傷がせっかくかさぶたをつくって
治ろうとしているのを見つけるたびに、
いちいちかさぶたを剝いていたのと同じことだったのだ、
と今は思います。
私達の心はいつだって傷を治したがっているし、
私達の心にはそれ自体に傷を癒す力があるのです。

これまで、怒りや悲しみや後悔などに変換して浪費していた
心のエネルギーが、今は潤沢に使えるようになってきたので
このエネルギーを自分の大好きなことや大切なことに注いで
有効活用していきたいなぁ、と楽しみにしているところです。





2015年09月25日

信じるべきものは自分の内側にある

はぁーい♪皆様、ごきげんよう♪
いかがお過ごしでしょうか。

今回の記事は、こんな感じ↓で書いていきたいと思います。

しまむらくんとコーヒー.gif
ブログ主の大好きなしまむらくんのaaです^^

しまむらくんの淹れたコーヒーを
ご一緒に飲んでいるような気分で、
のんびりとお読みいただけましたら嬉しいです。


さて、先日お散歩をしていたときに、ブログ主はふと
千家尊福さんの名言を思い出しました。それは…

善いことをして悪いことをするな

善いことをして悪いことをするな、
こんなことは子供でも知っていることだ。
しかし誰でも知っていることであって誰でも出来ないこと、
これが出来たら必ず立派な人間になれる
。」

という言葉でした。

(尊福さんについては、2014年元日の日記
少し書きましたので、興味を持たれた方はお読みください)

尊福さんの示した指針はとてもシンプルであり、
一見すると、非常に明確な基準であるように見えます。

けれどもよくよく考えてみると、この
「善いことをして、悪いことをしない」という指針には
具体的なマニュアルのようなものが一切付いていません。
ですから、何が「善いこと」で、何が「悪いこと」なのか、
状況に応じて
いちいち自分で判断する必要が出てきます。

何でもかんでも自分に問いかけて
そこから生じた結果に自分で責任を持つということは、
こういったら何ですが、面倒くさいと感じるときもあるでしょう。
いっそのこと、絶対的に信頼できる誰かが自分の代わりに
「これは善い!」とか「悪い!」とか逐一決めてくれればいいのに!
と思ってしまうときもあるでしょう。
というか、ブログ主はたまにそう思っておりますw

でもその一方で、ブログ主はこんな風にも考えています。

「自分にとって何が『善いこと』で、何が『悪いこと』なのかは
結局、自分にしか分からない。自分に聞いて決めるべきことなんだ」

「自分で経験して、自分で見極めて、
自分が納得できる善悪の基準を構築していくこと。
そしてその基準をもとに、己を律する力をつけることが大事なんだ」

『善いことをして、悪いことをしない』とは、
一回きりで完結するような目標ではなくて、

人生のすべての時間を賭けて挑戦する壮大なプロジェクトなんだ

なので「自分で決めるのって、めんどくさいw」とか言っていたら
せっかく生まれてきた甲斐がなくなるよなあ…と思い直して、
どんなに小さなテーマでも「これは魂の修行だから」と思って、
ぼんくらなりに、自分で考えるように意識しています。


ところでブログ主は常々、日本人の中にはちょっとずつ
「神の分け御霊」が入っていると信じています^^
そして「自分の中の良心」と「神様の分け御霊」は、
きっと同じものだろうとイメージしています^▽^

そして、ブログ主にとっての「善いこと」というのは、
それを行うことで「自分の中の良心」(=「神様の分け御霊」)が
ホッと安心したり、満足するようなことです。
もしくは、なんとなく後味が清々しくなるようなことです。

たとえば、何か人様の役に立つかもしれないことに挑戦したり、
自分の人格や技術を磨くためにストイックに努力することは、
ブログ主にとっては「善いぴかぴか(新しい)」と感じられることです。

一方「悪いこと」とは、それを行ったときに「自分の中の良心」が
もやっとした違和感を抱くようなことです。
もしくは、自分や他人の真心を踏みにじったときのような、
後味の悪く、悲しくなるようなことも「悪い」ことだと考えます。

まあ実際には「善いことかも!」と思って取り組んだことが、
後々考えてみたらそれほど善いことでもなかった(笑)、
的なオチがつく場合が多々あるわけですが。
でもそれだって、自分で挑戦してみなければ
決して分からなかったことなのです。
「本気の失敗には価値がある」とは
私の心のヒーロー・南波六太氏も言っていましたが
本当にそうだよなあ、いい言葉だなあと思っています(*´ω`)かわいい


さて、何でこんな哲学チックな思索を始めたかというと、
最近、政治系のブログで両陛下をバッシングしているところが
ちらほら増えてきたようで、頭の中がもやもやしていたからです。
(ただ、ブログ主はそういうブログを真剣に読みません。
ああいうブログの考え方に影響を受けたくないから\(^o^)/)

また、そういうブログの中にたまに見受けられるのが
「霊感が〜ほにゃららら〜といっておりまする〜」
「ご神託がありまして〜ふんだらら〜」的な論拠(?)ですが、
そういうのを見るたびに、ブログ主はいつも思うのです。

あなた方にご神託を授けているという、
その自称「神様」とかいう存在が

実は霊界の池○彰みたいなのだったら
どうしますのん?(´・ω・`)


たとえば95の「本当」の中に、「5」の強烈な嘘をさらっと交ぜたり、
「一番大事な1つのこと」を言わずに
「四、五番目に大事ないくつかのこと」をもっともらしく言う輩なんて
人間界にだって、いっぱいいるでしょう。○上○とかw

そういう人や霊的存在にカモられる人というのは、
よく言えば「素直で純粋な人」なのですが、
別の言い方をすれば「自分の中の良心に問いかけること、
自分の中の分け御霊の声に耳を傾けることをさぼった人」
ではないのかな、と思うのです。

偉そうに書いてごめんなさいm( )m

それでも…

「この人は、私の過去をズバリと当てた!
不思議な力がある人だ!だから信じよう!」

とか

「この人は、目に見えないものを
ものすごく具体的に説明している!
すごい能力を持った人だ!選ばれた人だ!」

とか、あんまりどストレートに受け止めて
盛り上がりすぎない方がよい気がします。

信じて依存できる理想の他人を
自分の外側に探すよりも、
自分の内側にある理想像を自分で体現する方が、
よりシンプルであり、健康的ではないでしょうか。

そして、目の前の人が自分にとって
本当に信じられる人なのかどうかは、
自分の内側の声をいちいち聞いて、
悩みながら決めていきたいと
ブログ主は考えています。


それから、ブログ主の尊敬する友人の一人が
以前かけてくれた言葉があるのですが

「自分の内側に感謝の心を持っている間は、
人は正しい道を進んでいける」

という言葉は本当に素晴らしかったなあと感じていて、
つらいことや落ち込むことがあるたびに思い出して
言葉のイメージをかみしめては立ち上がっています。

「感謝の心が自分を導き、護るはずだ」という信念と
自分の内側の力を信じて、
自分の外側から聞こえてくる話については
ほどほどに参考にさせてもらいながら、
少しずつ前に進んでいきたいです。



2015年07月30日

自分を愛して自分を満たすということ

皆様、ごきげんよう。
お元気でお過ごしでしょうか^^

今日はこれから、ずっと書きたいと思っていたテーマ
「自分を愛して自分を満たすということ」について書きます。

人は愛によって満たされる、といいます。
確かにそうなのだろうと思います。
それでは、自分を満たすために必要な愛を
私達は、どこからどうやって
手に入れたらよいのでしょうか。

私はずーっと、このテーマについて考えてきました。
それこそ20年ぐらい、ずーっとずーっと考えてきました(笑)

そしてこのテーマにおいて、私が「観察対象」として
もっとも参考にさせてもらってきたのは
世界が認める世紀のスーパー・スター、
故マイケル・ジャクソンでした。

皆様もご存知のとおり、マイケル・ジャクソンは
圧倒的な魅力と才能に恵まれた人でした
(「神に愛された人」と言っても過言ではないレベルで)。
お城のような家に住み、美しい家族に囲まれていました。
世界中の人から、さまざまな形で好意を示されていました。
また彼の作品を喜んで求めたり、コンサートに駆けつけたり、
彼の表現を高く評価する人が本当にたくさんいました。

彼は通常の人が欲しいと願うようなものを
ほとんど全て手に入れているようでしたし、
その上彼には普通の人の何十倍も、何百倍も
周りの人から愛が注がれているように見えましたが、
それでも彼はなお、決して満たされることが
ないようにも見えました。

世界中のファンから送られてくるラブコールは、
彼の心を「一時的/断片的」には
満たしたかもしれません。

けれども、彼の人気や実績が
目に見えて大きくなるにつれて、
マイケル・ジャクソンの醸し出す
悲しげで淋しそうな雰囲気は
かえってますます濃くなっていったように思います。

本当のところ、彼がもっとも渇望していたのは
「実の父親からの愛と承認」だったのかもしれない、
と私は想像しています。というよりも厳密に言えば

「お父さんが僕のことを否定したから、
お父さんの言うとおり、僕はダメな子なのだ」

と強烈な呪いのように彼が自ら思い込んでしまった。
そのことこそが、彼がいつまでも満たされず苦しんだ
諸悪の根源だったのでは、と私は考えています。

ここで皆様に強調しておきたいことは

自分で自分を「ダメだ」と
強く思い込んでしまった人は、
そこから先は決して満たされることがない

ということです。
それはまるで、側面に大きな穴が開いてしまった水瓶に
延々と水を汲み入れては、汲んだばかりの水を
どぼどぼだばだばと漏らし続けてしまうことに似ています。

ぽっかりと横穴の開いた心に
どれだけ大量の愛を注ぎ込んだとしても、
肝心の心が愛を保つ形状を成していないわけですから
汲み入れたそばから、愛はむなしく漏れ出ていきます。

ですから、まずは肝心の穴を
埋めて修復しない限りは、
心に愛をたっぷりと溜めることができないのです。

それでは、問題の心の穴は一体、
何をどうすれば埋めることができるのでしょうか。
誰か特別な人であれば、その穴は埋められるのでしょうか。

特別な人とは、誰のことでしょう?
父親?母親?
あるいは、尊敬できる素晴らしい先生?
もしくは親友?恋人?伴侶?
子供?孫?逆に、先祖?
憧れの大スター?有名な権力者?
人間離れした、すごい能力を持っているっぽい人?
かつて自分を傷つけてきたすべての人達?
いっそのこと、神様とか?

もし仮に「特別な運命の人!」と言いたくなるぐらい
ものすごく素晴らしい人が、自分の目の前に
「じゃじゃーん」と現れてくれたとします。
その人の素敵さのおかげで、私達の心はいっときは
とても満たされた状態になれるかもしれません。

けれども、その「特別な運命の人!」があるとき突然
思いがけないようなひどい言葉を吐いたり、
信じられないようなすさまじい行動をとったり、
あるいは突然目の前から消えてしまったとしたら
私達はものすごいショックを受けてしまって、
心の穴は再びぽっかりと開いてしまうことでしょう。
というより、心の穴の面積が以前よりも広がったり、
あるいは穴の数が増えたりするのではないでしょうか。

※埋まったり開いたり、埋まったり開いたり…
今度こそ埋まった!と思ったら埋まってなかった!
しかも穴の数が増えてるし!がびーん(※リピート)

みたいな無限地獄(!)に陥るわけです。


結局、自分の心の穴を埋めてくれる「運命の人」は
自分の外側にはいない、と私は考えています。
「運命の人」は外側ではなく、内側にいます。
つまり、自分の心の穴を埋めることができるのは
ほかの誰でもない自分自身、
ただ自分一人だけだということです。
(ですから、自分の心の穴を埋めてくれる人を探して
一生懸命自分の外側を見ていたとしても、
それは結局時間の無駄ということになりそうです)

マイケル・ジャクソンの心の穴が結局
マイケル・ジャクソンにしか埋められないのと同じように、
私の心の穴は、私にしか埋められません。
皆様一人ひとりの心の穴も、皆様自身にしか埋められません。
それが厳然たる事実です。


さて、自分の心の穴を埋めるために
私達がやるべきことは、
実はとても簡単です。それは
「ああ、心の穴が埋まってきた気がするなあ」
「私はダメじゃないんだ、大丈夫なんだ」と
安心して思えるようになるぐらいまで、
ひたすら、徹底的に、自分で自分を愛することです。
そして、自分を愛するということはすなわち

「私は誰よりも深く私を愛している」
「私はどんな私のことも大好きだ」
「私は私を絶対に護る」

と、自分で自分に向かって
何度も何度も繰り返し語りかけることです。

自分が求めている愛を、言葉という形に表して
その形を自分に向かって何度も繰り返し与えること。
それが「自分を愛すること」の「基本のき」です。

もちろん、疲れていたらゆっくり休むとか、
美味しいものを感謝しながらいただくとか、
好きなことや楽しいことをして過ごすとか、
そういったことはすべて自分自身への
素晴らしい愛情表現になりますが、
何よりもまず自分に必要な「言葉」をかけることが
もっとも確実かつ速攻で効く愛情表現です。

ずっと自分を愛さず、あるいは愛せず、
自分で自分をいじめ抜いて生きてきた人は
心の内側がカスカスのカラカラの
カサカサになっていることでしょう。
そんな状態にある人が、他人や世界に対して
潤いのある優しい愛を注ぐことはできません。
自分はたっぷり持っているよ!とは到底思えないものを
他人に惜しみなく与えることなど、できません。
どう考えても無理があります。
「あなたのライフはゼロよ(悲鳴)」状態なのですから。

そんなときは、ゲームの世界でなくても
いったん宿に入って一人になって、
回復の呪文を唱えまくってエネルギーをチャージするのが
誰がどう見ても当たり前で、真っ先にやるべきことです。

カスカスのカラカラのカサカサになっている方々に
私は言います。声を大にして言います。

もう変な無理するな。
自分をいじめるな。
いじめるのではなく、自分を愛しなさい。

これからは、自分で自分を幸せにしなさい。
意志さえあれば絶対にできるから。

もしも悲しい気持ちや辛い気持ちが湧いてきたら、
そしてもしも、自分で自分をいじめているような
つらい言葉やイメージが込み上げてきたら、そのときは
おまじないのように淡々と自分に語りかければよいのです。

「私は誰よりも深く私を愛している」
「私はどんな私のことも大好きだ」
「私は私を絶対に護る」

ちなみに、この3つの言葉よりも
自分的にしっくりくる、より愛情豊かな言葉があれば
その言葉を繰り返し言ってみてください。
自分が言われたら一番嬉しくて安心するであろう言葉を
惜しみなく自分自身にかけてください。

これはいつでもどこでも、何度でもできますし、
お金もかかりませんし疲れません。
むしろ、やればやるほど疲れが癒されていきます。
自分で自分をいじめると、疲れも悲しみも倍増しますが
自分で自分を愛すれば、回復力や元気が倍増します。

一番よいのは、大きな声に出してはっきり言うことですが
小さな声で呟くのでも効果はあります。
頭の中だけで漠然とイメージしているよりも、
たとえ小さくても声に出した方が、説得力が出ます。
説得力があるというのは大事なことですよね。


私達が健やかに、穏やかに、幸せに生きていくためには
自分を揺るぎなくしっかりと愛することが必要不可欠です。
そして、自分を揺るぎなくしっかり愛する上で鍵になるのは
やっぱり「言葉」だと思うのです。
この日本は、言霊の国でもあるわけですから…^^

自分の言葉の力を信じて活用していくことで、
自分を愛して生きていける人が一人でも増えることを
心より願っています。