2016年02月25日

なんて、書いたそばから更新しちゃいますけどね

ごきげんよろしゅう、皆様。
ちなみに、私はといいますと、ややおかんむりです。

去年の暮れに「旭川市の教育大綱案に意見書を送ってみました
という記事を書きましたが、皆様は覚えておいででしょうか。

去年の暮れに、旭川市の教育大綱案を読んで私が感じたのは、
旭川市の教育大綱、という名目でありながら
屯田兵の「と」の字も出てこないこと。
そして「アイヌ文化や郷土芸能など、地域の文化の保存や伝承に努める」
という記述から分かるように、アイヌ文化を郷土芸能より先に記述し
いかにも重視している姿勢が見られること。

そういうあり方はおかしいと思いますよ、という意見を送ったのですが
その回答が今日、旭川市から送られてきました。

結論から申し上げますと、私が指摘した上の個所は
完全にスルーされて教育大綱が完成していました。

そのスルーの理由は、こういうものでした↓

「ご意見の内容につきましては、教育大綱(案)の
「基本目標1−施策1」の以下の文章中に、
屯田兵などを含めた本市の歴史教育の要素が含まれていると
考えられるため、参考意見として受け止めさせていただきます」

「受け止める」ということは「無視する」ことと同義で使われるものでしょうか?
確かに受け止めたのであれば、
なぜ受け止めたものを活用しないのでしょうか?
結局、受け止めてないということですよね?

どうして、「屯田兵」という名称を大綱の中にただの一か所も入れず、
うやむやにぼかしたままなのでしょうか?

「屯田兵」は、旭川を切り拓いた人達を現す大切な言葉ですよ?
しかも、たった3文字ですよ?(笑)
なぜ、そこまでかたくなに拒否しているのでしょうか?

「屯田兵」という「兵」という文字から
軍靴の音でも聞こえているのでしょうか?(笑)(笑)

それでいて、「アイヌ文化」という名称の方は
なぜそんなにも嬉しそうに、高らかに謳いあげているのでしょうか?

ああ、もう!!!
このどあほ!くそ売国奴ども!!!!
しね!しね!しね!!!(怒)旭川の恥さらし!!!
日本人の面汚し!!!ばかサヨク!!!

お前らなんて、あやしいエセアイヌ文化と共に完全に絶滅して
地球上から消え失せろ、すかぽんたん!!!!

…ふう。

この、ど畜生な回答は、あるもさんのところにも届いている頃でしょうか。
ほんと腹が立ちますよね。
気の済むまで怒り狂いましょう(笑)
ちなみに、私の方はもう、数時間かけて丁寧に怒り狂いましたので(笑)
だいたい気が済んだところです。
ここからは、気を取り直すことにしました。

多くの人に、屯田兵のことを大切に思ってもらうきっかけとして
今回のド腐れた回答を最大限に利用する、と決めました。

旭川市の歴史教育の現状と方向性について考えてみました」でも書きましたが
反日的な方向にガッツリ偏っていることで知られる東京書籍の歴史教科書を
市民の反対の声をあっさり無視して選んだ旭川市でありますから、
アカい人達が積極的に関わっているであろうことは推して知るべし、です。

なんせ、旭川市博物館からしてあの分かりやすい体たらくですから、
旭川市の教育には、アイヌ利権がもろに絡んでいるでしょうし
悪名高い日教組の中でも指折りのワル(笑)である北教組も
がっちり絡んでいることでしょう。
キモいですね!(笑)

もしも、旭川市外の人から
「旭川の歴史を知るのに、オススメのスポットは?」と聞かれたら、私は
北鎮記念館と兵村記念館と、旭川神社と永山神社をお薦めします。

そして、旭川市博物館はどうなの?と聞かれたら、
市民の税金を無駄遣いして、アイヌ文化ばかりゴリ押ししている
寒々しい施設だから行かない方がいい、
ひと言でいえばくそみたいなところだよ、と説明します。

そして「私は屯田兵や自分の祖先を尊敬しているので、どうせなら
屯田兵と開拓民の頑張りや喜びを紹介した施設を見てほしいんだ!」
と自分の思いを伝えます。

それって、当たり前のことでしょう?
だって私、旭川市民ですもの(´・ω・`)

アイヌといえば、余命さんが先日の記事で、
ちょうどアイヌ問題について触れていた
ので
今夜は、その分析を読んで溜飲を下げたりしていました。
そして、余命さんの素晴らしいコメントを反すうしながら
お風呂で髪を洗いつつ、「ぐ〜〜〜〜、がるるるるる!!!」と
もろに狂犬の形相(笑)で唸っていた私でしたが、ふと

「この土地にちゃんと根っこを張っている私が、
あんなでたらめな根なし草どもに負けるわけがない」

と思いました。
そうしたら、ふっと気持ちが楽になりました。

旭川市の歴史教育がどんなにド腐れていようとも、
私自身が、旭川を好きで大切に思う気持ちには何の変わりもない。
私は、私自身の郷土愛から幸せを感じられる。
私は旭川が好きなんだ。

私は、今みたいに、ごくふつうに根っこを張り続けて、
自分と町と国を堂々と愛して生きていく。
ありのままの気持ちを一番大切にして、生きていくんだ。

というようなことを、今日はぐるぐると考えていました。

そして、このむなくそな気分を変えてくれる
さかなクンの素晴らしい演奏をエンドレスで眺めてしまうのでした。
自分のやりたいことを一生懸命やってきた人は、かっこいいですよね^^
スカパラの誰よりもオーラがすごい。目が釘付けになってしまう。



昔見ていたバラエティ番組で、
さかなクンが海の漁船の上で、とれたてのサンマかイワシみたいな魚を
「ぎょぎょ!おいしそうですね〜」とわしづかみにしたなあ、と思ったら
いきなり頭からガブリ!とその魚にかみついて食べ始めた瞬間を見て
「やだ、この人!こわい!(笑)」とびびったものでしたが、
今ではそんな猟奇的なところも含めてさかなクンを愛しています(笑)







posted by はなうた at 21:29| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月24日

できることはだいたいやったんだ(`・ω・´)

皆様、ごきげんよう♪
いかがお過ごしでしょうか。

表題の件で、つれづれなるままに書いていきます。

まず、古事記の連載のことですが、
前回の記事を書き終えて、しばらくして気づいたのですが、
「くにうみ」の記事で、言いたいことは全部言ってしまいました。

「神様とは明るく、楽しく、すばらしく、万能な存在である」

ということと、

「神様の分け御霊である私達は、神様と同じものでできていて、
なおかつ神様と同じ資質がある」


ということ、そして

「神様(私達)の思い描いたことが世界に反映されていく」

ということを、私なりに古事記から読み取って、文章に表しました。
それが私にとっては、一番大事なことでした。
そして「大事なことが書けたから、もういいか」という気分になりましたw

予定では「よみがえり」まで訳してから
古事記シリーズを終了するつもりでしたが、
筆者の気が済みましたので、前回をもって最終回とします。
ズコー(笑)

それから、このブログについて。

これまで、400本以上の記事を書いてきましたが
(数えてみたら、思っていたよりも少なかったですね〜)、
「護国」について自分が思い、考え、言いたかったことは、
だいたい言い尽くしたなあ…という心境になってまいりました。

近ごろの私の日課はと言うと、
余命3年時事日記とパチンコ屋の倒産を応援するブログと
保守速報をななめ読みして、
余命3年時事日記のミラーサイトから
官邸メールとその他メール(メリケン国宛て)をピコピコッと送信し、
あとはお気に入りの保守系ブログをはしごしては
「いい時代になってきてますなぁ」と一人ごちています。

モイラさんは、今年は混沌の時代になりそうだと予測していましたが
私の感覚では「日本はよい方向に行く」気しかしてません。

現状を見ればそれは、みんなが憧れて思い描くような理想の世界、
つまり、穏やかで平和で満ち足りた世界からはほど遠いかもしれません。
その上、これからますますおどろおどろしいことが明るみに出てきて、
人によっては阿鼻叫喚の地獄や混乱に陥ってしまうかもしれません。
が。そんなのもきっと、単なる通過点でしかないんです。

日本と世界があるべき状態に整っていくために
「通過点」が発生する。
ただそれだけのこと。
通過点はゴールではない、通過点なんだ、ということが分かっていれば
いちいちブレたり落ち込んだりすることもありません。
私達は、そのときどきでやりたいことをやって
(官邸メールとか応援買い&応援コメントなど)
目の前に出てくる通過点を淡々とパスしていけば、
あとはオートマチックにゴールに辿りつくのだろうさ。
と考えています。

あ、チョンやチュンや反日の未来は知りませんよw
それと、今まで自らを欺き、人を裏切り、
小金を貯め込んできたような連中のことも知りもはんw

そういう人達は多分…

「自分さえよければ周りはどうなってもいい」

と思っているんでしょう?
それは裏を返せば、こういうこと↓でしょう?

「自分は、何もしなければ潰され、消されてしまう存在なのだ。
天も地も人も、決して自分を助けてはくれない。
周りを食い物にしなければ、自分は決して助からないのだ。
あがかなければ!欺かなければ!裏切らなければ!
恐い、恐い、恐い!誰も信じられない、生きていくのがおそろしい!」

そんな風に思って生きている彼らはきっと、
そんな想念をごりごりと現象化させて生きていくのではないでしょうか。

そして、そういった現象化を嫌!と言うほど目の当たりにして
「もうこんな世界には耐えられない!変えたい!どうすればいいんだ!」
と心から願ったときに、そもそも自分のデフォルトの想念に
問題があったのだ、ということに気づけたらラッキーでしょうね〜。

現時点では、彼らには、何を言っても聞く耳を持たないでしょうし
とりあえず、彼らは自分の気が済むまで
存分にあがけばよいのではないでしょうか?
あがくことも救われることも自由です。
何でも自由、やりたい放題、選び放題なのです。
この世という場所は本当に何でもありで、豊かで、
辛さも悲しさも全部含めて面白いところなのですよ鉄郎。

…という心境でありますゆえ、
こっちのブログは、今後は幽霊ブログとなっていく予定です(笑)
(あっちのブログの方は、趣味的なことを書いて当分続けていきますので
読みたい人は読んでください)

とはいえ、実は前回で最終回を迎えたはずの「駐屯地モニター日記」に
予想外のおまけが発生しまして(笑)
あと1本記事が書けそうですので、
その更新はする予定です(おそらく3月中旬ごろ)
全国の駐屯地ファン(笑)の皆様、どうぞ楽しみにしていてください^^








posted by はなうた at 21:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月22日

(三)「くにうみ」に思うこと(2)★最後に追記あり



(三)「くにうみ」に思うこと(1)
の続きです。

それでは早速、本題に入ります。


「くにうみ」の過程で
ネガティヴな神々が生まれた理由を考える


いきなり不穏なタイトルから始めましたが(笑)
とりあえずは、今回訳す部分を眺めてみましょう。
私の動画でご紹介した訳を以下に抜粋します。


******************

伊邪那岐と伊邪那美が
お生みになられた
神のお名前は

天之狭土神
(理想の世界で、領土の狭さについて思い描く神)

次に、国之狭土神
(現象の世界で、領土の狭さを体験する神)

次に、天之狭霧神
(理想の世界で、視野の狭さについて思い描く神)

次に、国之狭霧神
(現象の世界で、視野の狭さを体験する神)

次に、天之闇戸神
(理想の世界で、心閉ざすことについて思い描く神)

次に、国之闇戸神
(現象の世界で、心閉ざすことを体験する神)

次に、大戸惑子神
(おおいに戸惑い悩む男神)

次に、大戸惑女神
(おおいに戸惑い悩む女神)

******************

上の神様の名前の漢字表記は、古事記の原文ママです。
また( )内の意味は、参考文献をもとにしてまとめたものです。
星の数ほど存在する解釈のひとつとしてお楽しみくださいm( )m

さて、上の神様の名前の意味について考える際に、私は

「天之=理想の世界(神様の世界)で、イメージを思い描くこと

「国之=現象の世界(人間の世界)で、イメージを体験すること

と定義しました。
なぜなら、古事記の「くにづくり」の大前提は

「イメージとして思い描いたことが、
リアルという形になって現れる」


ことだと捉えているからです。
ですから、「天之/国之」という神様の名前の意味を
上のように解釈してみました。

さてここで少し、「くにうみ」の前半について振り返ってみましょう。

伊邪那岐と伊邪那美の夫婦は、淡路島を筆頭として
まずは、素晴らしい国魂(国土を成す神)を生みました。

その後には、暮らしや自然界を支える神々を生みました。

かくして、ずっと安産でハッピーな感じで来ていた「くにうみ」でしたが
今回ご紹介する部分に入ったあたりから、
一気に雲行きが怪しくなるわけです。

どう怪しくなったのかと言いますと、具体的には

 「狭土」(土地・領土が狭い)
  →「窮屈、不足」という感情


 「狭霧」
(霧で覆われたように視界が狭い)
  →「不安」という感情


 「闇戸」
(暗い気持ちで心を閉ざす)
  →「落ち込み」という感情

 「大戸惑」
(大いに戸惑う)
  →「混乱」という感情

天之狭土神以前に生まれた神々の名前とは違って、
天之狭土神以降の神々の名前は
音の響き自体が不穏な雰囲気を漂わせている上に、
使っている漢字もどことなく不吉(笑)なものが並んでいます。

これまでに訳してきた、明るくて大らかな神様達の名前とは
明らかに様子が異なっているのです。

天之狭土神以前の「くにうみ」では、
伊邪那岐と伊邪那美は、素晴らしい神々や楽しげな神々を
思いのままに生んできたのです。それなのに、
ここに来て、どうしてこの二柱の夫婦神は、
ネガティヴともとれる性質の神々を生み始めたのでしょうか?

おそらく彼らは、このように考えたのではないでしょうか。

「文字どおり『何でもアリな世界』、つまり、
あらゆることを好きなだけ
体験できる世界こそが
本当の意味での豊かな世界だ。
私達がつくりたいのは、そういう世界なのだ」

と。では、「豊かな世界」というものを具体的にイメージするために、
ここで少し、海の中のことを思い浮かべてみましょう。

海の中に生息している生き物は、
綺麗で愛らしくて小さな魚だけでは、もちろんありませんよね。

ぞっとするほど大きな体をもったサメやクジラとか、
なぜこんな姿に…と絶句するほど不思議な形の深海魚や、
見た目はなんだかあやしいけど、
食べるとおいしい魚介類(笑)などもいます。
そうかと思えば、生きた化石と呼ばれる硬そうな生き物たち(笑)も
ふらーっと泳いでいたりしますね。

それから、珊瑚があって、サンゴ礁があって、海藻があって、
海底山脈や、海溝もあって…

そして、日本周辺の海には、
すばらしい資源であるメタンハイドレートが
海中の高層ビル群よろしく、
いくつも並んで高くそびえていたりするわけです^^

そんな風に、あらゆるものが何でもある!からこそ、
海はすばらしいし、母なる場所と感じられるのではないでしょうか。

そしてそれは、世界全体においても、きっと同じことが言えるのです。

「あらゆるものが何でもあるからこそ、世界はすばらしい…!」

そういう感動的な豊かさを表現したくて、
古事記に出てくる神様は「くにうみ」において
「光」に対する「影」をあえてつくり出したのではないでしょうか。
つまり、「嬉しさの対極にあるもの」や
「楽しさの対極にあるもの」を生み出すことで
世界の豊かさを増強したのではないか、と私は想像しています。

きっと、いつでも完全に満ち足りていて、円満でなごやかで、
すっきり爽やかでハッピーな感情を満喫していた神々が

「『満ち足りていない』とは、どういう感情だろう?体験したい…」

「『安心していない』とは、どういう感情だろう?体験したい

「『心がオープンではない』とは、どういう感情だろう?」

「『心が清明でなく、混乱している』とは、どういう感情だろう?」

などと思いを馳せ、自分達が満喫しているのとは違うタイプの感情も
まんべんなく体験してみたい、とひらめいたのではないでしょうか。

そして、さまざまな感情を体験するために
作り上げたヴァーチャル・ワールドこそが、
今私達が生きて、いろいろなことを味わっている
この現象の世界なのだと思います。

古今東西の、さまざまな宗教家達が

「あらゆるものは、そもそも完璧である。
悩みや苦しみとは、結局すべて幻である」

というようなことを言っていますが、
おそらくその言葉の意味するところとは

「この世界は、さまざまな感情を
まんべんなく体験するために、

神様と人間達が共同でつくりあげている
とても精巧なバーチャル・ワールドだ」

ということなのかもしれない、と私は想像しています。
以上、結構行数を割いて力説してまいりましたが、
まあ、話半分に聞いておいてください(笑)

さて「くにうみ」の物語はここから
さらに物騒なムード(笑)になってまいりますよー。


「くにうみ」の物語の中に
かつて地球で栄えた文明の姿を見る


それではここから、オカルト大好きっ子(笑)の本領を
おそるおそる発揮していきますw
まずは、先ほどの動画から現代語訳を抜粋します。


******************

次にお生みになられた神のお名前は
鳥之石楠船神
(鳥のように空を飛ぶ石の船を操る神)
とおっしゃる

またの名は 天鳥船とおっしゃる

次に、大宜都比売神
(大(あらゆる)宜都( [けつ] =穀物と蚕)の女神)

次に、火之夜藝速男神
(炎ですべてを一瞬にして焼き払う男神)
をお生みになられた 

またの名を火之R毘古神、
またの名を火之迦具土神とおっしゃる

******************

私が古事記を読むうえで参考にさせてもらっている
谷口雅春氏の著書では、上記の神々の名前は
次のように解釈されています。

 ・鳥之石楠船神(天鳥船)=飛行機またはロケット

 ・大宜都比売神=食糧の大量生産を可能にするシステム

 ・火之夜藝速男神 =核爆弾に代表される、大規模レベルで
             強力な殺傷能力を持つ兵器

これらの解釈については、個人的には全面的に賛同しています。
神々の名前に使われている漢字の雰囲気から見ても、
名前の音の響きから見ても、このように解釈するのが
一番自然だと感じております。

そして、谷口氏の解釈では、
これらの神々が生まれたくだりは
先の世界大戦を予言したものではないか、と推察しています。

なるほど、その解釈も大変興味深いものだと思うのですが、
私自身は、それとは少し違う見方をしています。

私としてはこれは、

「かつて地球に存在した
高度な文明の栄枯盛衰を
描写した箇所」

だと思っています\(^o^)/

そして、ロケットだの核兵器的な武器などをつくり出した文明が
かつて存在していたということを、
その文明の生き残りである古代の日本人が
ひっそりと口承し続けていたとか。
あるいは、古代日本人のとあるシャーマンが、
空中にゆんゆんと飛び交っていた電波(笑)の中から
情報をみごとキャッチして、神話という形に変換して残したのか。
情報の出どころや流れは、定かではありませんが…それでも!

46億年も続く長い長い地球の歴史の中で
私達の文明だけが飛びぬけて高度だった!とか、
飛行機もロケットも核兵器もつくれたのは
私達のいる、この現代だけ!と考える方が、

なんというか、狭くないですか?
無理がある気がしませんか?

なんとなく、感覚的に思いを馳せてみたら、かつて地球上には
もっと何かしらの文明があった気がしませんか?しかも、何回か!


だって、地球上ではかつて、
ムーとかアトランティスとかの割と高度な文明が
何度か栄えていたんですよね?
ただ、いずれの文明でも物質面では発展した一方で、
精神面の充実は軽視されて、人々が堕落したことで
神の逆鱗(笑)に触れてしまった、
もしくはシステム的なバランスが崩壊したことによって
それらの文明は、ことごとく
地球の表舞台から姿を消したんですよね?

ちなみに、今回の私達の文明が
地球の最期のチャレンジだと言われているそうで、
今回ダメなら地球はもうアウト〜\(^o^)/という説も、ありまぁす!

ね〜、オカルトな話はエキサイティングで面白いですよね〜(笑)

まあ、上の「今回のチャレンジでダメならアウト」説が
仮に真実だったとしても、私としてはここまで来たら
もう大丈夫なんじゃないかな〜と思っています^^
なんだかんだ言っても地球人は、今回のチャレンジを乗り切って
新しい時代に入る道を選択できているのではないでしょうか?

ちなみに新しい時代というのは、
恐怖と不安がコントロールする従来のシステムから脱却して
「自分こそが自分の世界のつくり主だったことを自覚し、
一人ひとりが自分の心の平穏を整え、それらの変容の重なりが
結果的に世界の平穏を形づくっていく時代

ということです♪

古事記のような神話を読むことで、もしかしたら既に
何回か経験してきたのかもしれない地球の文明に思いを馳せて、
その「失敗の癖(&傾向と対策)」を読み取ろうとしてみる、というのも
神話の楽しみ方の一つではないのかな、と思うのです。


苦しみは苦しみを呼び寄せ連鎖し続け、
悲しみは喜びや奇跡へと昇華する


今回ご紹介している「くにうみ」の後半部分は、
一貫して、暗く重いトーンに沈んでいます。

不足と不安、落ち込みと戸惑い。
過信、過剰、争い。
そして親殺し。最愛の者との死別。子殺し。

出てきた要素を並べると「ネガティヴのオンパレード」なのですが、
しかし、それでも古事記の世界観は決して
ネガティヴな方だけに沈み込むということはないのです。

第一に、ネガティヴな場面を描きながらも、
そのネガティヴからは私達が幸せを得る上で役に立つ、
貴重な学びを得られるようになっています。たとえば、こんな風にです。

伊邪那岐は、愛する妻・伊邪那美を失った悲しみに耐えきれず、
我が子である火之夜藝速男神(炎ですべてを一瞬にして焼き払う男神) の首を
刀で斬り落としました。その血まみれの刀からは、次のような、
恐怖と悲しみの神々が生まれました。


******************

石析神
(岩をも裂く破壊の神)

次に根析神
(木々の根をも裂く破壊の神)

次に石筒之男神
(大砲や銃など武器の男神)

甕速日神
(火薬や武器を蓄える神)

次に樋速日神
(火薬や武器を運ぶ神)

次に、建御雷之男神
(猛々しい雷ほどの大きな兵力をもつ神)
またの名は建布都神
またの名は豊布都神

闇淤加美神
(心を闇で覆い隠す女神)

次に闇御津羽神
(心を絶望と悲しみで満たす女神)

******************


伊邪那岐が怒りと憎しみにかられてとった行動は、
ネガティヴな神々を生み出す結果に繋がりました。

自分が苦しみの最中にいて、その苦しみと闘い続けている間は、

やることなすこと、さらなる苦しみを生む結果へと繋がっていきます。
これは「自分が思い描いたことを体験する」という
「くにうみ」の大前提そのままのできごとが起きたということだ、
と私は解釈しています。

さらに、「私達が『敵』と戦っている間は、敵は消えない。
むしろ、『敵』の存在感はますます強くなる一方だ」
という考え方がありますが、それとこれとは結局、同じ話だと思います。

私達が「敵と戦う」ということに焦点を当てている間は、
戦いは際限なく続いていきますし、敵はしぶとくしたたかに存在し続けます。

その状態を、好ましくない!変えたい!と心から思うのであれば、
まずは自分の心の中を探って、
本当に自分が望むものを見つけ出し、
それを素直に欲することが一番大切なのではないでしょうか。
そして、自分が欲しいと思ったものを、自分の意思で勇気をもって選択して、
そこに新たに焦点を当て直す。
そうすることで初めて、自分も状況も変わるのではないでしょうか。

伊邪那岐の物語は、「くにうみ」以降もさらに続いていきますが、
苦しみと憎しみにとらわれていた伊邪那岐が、
視点を変えて自らの望みを明確にし、行動を起こしたことで
彼はより素晴らしい神へと変容していきます。
また、彼を取り巻く状況も、彼の内面の変化に合わせるようにして
どんどん変わっていくのです。
そういう伊邪那岐の大変身は、古事記の醍醐味の一つだと私は考えていますし
その変化の過程は、今を生きる私達にも有益なヒントを与えてくれるのです。

さて、一方でその伊邪那岐の妻・伊邪那美はどうなったかといいますと、
母なる神・伊邪那美は、自らの陰部を焼き焦がす炎の子を生んだことから
命を落としてしまったわけです。

かくして、子に命を奪われた悲劇の母である伊邪那美の屍からは
嘔吐物や大便、尿が流れ出たのでした。
その光景たるや確かに、見るも無残なものだったのかもしれません。
しかし、それらのむごたらしい汚物から生まれたのは、意外にも、
豊かさと繁栄を生み出す、めでたい神々だったのです。

たとえば彼女の嘔吐物からは、
金属を生み出す神が生まれました。

そして彼女の大便からは、
陶磁器などの焼きものを生み出す神が生まれました。

さらに彼女の尿からは、
豊かな水を生み出す神が生まれました。

また、母親の命を奪い、父親にその首を切り落とされて
殺された火之迦具土神の屍からは、
山の豊かさを現す、すばらしい神々が生まれました。


******************

正鹿山津見神
(山の入り口となる坂の神)

淤縢山津見神
(山に響く音(やまびこ)の神)

奧山上津見神
(山の中心部の神)

闇山津見神
(山を覆う影の神)

志藝山津見神
(山に生い茂る草木の神)

羽山津見神
(山の端=山のふもとの神)

原山津見神
(山中に広がる野原の神)

戸山津見神
(外山=里の神)

******************


母(妻)の死、子供の死、という悲しいできごとさえも
思いがけない喜びや奇跡を生むきっかけになり得る
ということを、「くにうみ」の最後のくだりは描いているのだと思います。

他国の神話では、親殺し、子殺しに関わったものは
神の逆鱗(笑)に触れて永遠の罰を受けるところでしょうけれど、
日本の神話の古事記では、どうしてもそういう展開にはならないのです。
どこまでもマイルドでありソフトであり、希望があるのです。

古事記に出てくる神々は、耐えがたいほどの憎しみや苦しみすら
成長や繁栄のきっかけに変えてしまえるのです。
そして、耐えがたいほどの悲しみの後には、救いがあり、再生があり、
明るい可能性があるのだということを古事記は堂々と描いています。

このようなものの見方を尊いと言わずして、
何を尊いと言うべきか、と私は思っています。
古事記の生命観は、あまりにもおおらかで強く、美しいものです。


そして私は、この「くにうみ」の最後のくだりを読んでいると
東日本大震災で救出された、あるおじいさんの動画を思い出すのです。

1分30秒にも満たない短い動画ですが、
この動画の中に私達は、救いと再生の神様を見ることができます。



今では、このおじいさんは亡くなられたそうですが、
彼は、日本人が古来からずっと受け継いできた大切な「ものの見方」を
私達にしっかりと残してくれました。
そして、この「ものの見方」はまさに、おおらかで強く、美しい
古代日本の生命観を体現しているのではないでしょうか。


以上、「くにうみ」について解説してきました。

次回で一応、最終回です。

これまでのこのシリーズを通して、私は、

「神様とは明るく、楽しく、素晴らしく、万能な存在である」

ということと

「神様の分け御霊である私達は、神様と同じものでできていて、
なおかつ神様と同じ資質がある」


ということ、そして

「神様(私達)の思い描いたことが世界に反映されていく」

ということを、古事記から読み取って、文章に書き表してきました。
私は、そのことを言いたいがために、古事記を訳してきたのだなあ、と
「くにうみ」の記事を訳し終えて気がつきました。
気がついたら、気が済みました(笑)

なので、予定より早いですが、今回で最終回です。

お付き合いくださり、ありがとうございましたm( )m

「古事記」は読んだ人の数だけ、解釈が生まれる物語だと思います。
いつか、お目にかかる機会がありましたら、
どうかあなたの古事記の解釈を、私に話して聞かせてください^^

ああだこうだ、と盛り上がってお話しながら、
古事記の奥深さや面白さを、あなたと分かち合う日を夢見ています。




posted by はなうた at 21:13| Comment(0) | 生きるために読む『古事記』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月19日

雨水

海都さん、はじめまして。
コメントをありがとうございました。
このブログにコメントをお寄せくださるのは、
基本的に常連さんばかりですので
初めての方がご感想を残してくださるのは久しぶりのことでした。
お気持ちを伝えてくださって、ありがとうございます^^

モチーフつなぎは私も好きで、たまにネットで検索するのですが
小原ハル子さんの色彩やデザインの感覚はやはり独特で、
素晴らしいなあ、大好き!と思います。

海都さんも、ご自身のお好きな色や形を選んで編んでいかれることで、
自然と海都さんの世界を表現なさるのだろうなあと想像しました。
これから先の手作りの時間が、楽しみですね*^^*
海都さんらしい、素敵な作品が仕上がっていきますように(人)


さて、今日は暦の上では雨水(うすい)でした。
この時期は、雪や氷が雨へと変わっていく時期だそうです。
こちら旭川では、今日は小雨が降っていまして、
道の雪がべちゃべちゃに溶けていました。
気温も高かったですし、まるで3月の終わりごろみたいだと思いました。

テレビでは、静岡県の河津桜の、満開の桜並木が紹介されていました。
河津桜は、やや濃い目の桃色の花と、
鮮やかな黄緑の葉が印象的な品種です。
私も一度だけ河津桜を見に行ったことがあるのですが、
うららかな春の日に、青い空と濃い色の桜を見上げながら
たくさん並んだ出店のおやつを
これでもか!これでもか!と買い求めて食べ歩くのが
すご〜く楽しかった!という思い出がありまぁす(案の定、花より団子だよ)!


さて、話は変わりまして、わたくしごとですが
古事記の「くにうみ」の仕上げに入りますので、
しばらくこっちのブログの更新が途絶えます。
(あっちのブログは、気晴らしがてら更新するかもしれません。
気晴らししたくなるほど煮詰まった場合は(笑))

今週末は久しぶりにたっぷり時間が取れそうなので、
腰を据えて取り組みたいと思いまぁす。

ではでは皆様、どうぞよい週末をお過ごしください。









posted by はなうた at 20:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする